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政治家・安倍晋三とは何者なのか ー 病的な嘘つきが我が国の総理大臣である事実について


 

愛媛文書を巡るニュースを聞いていると、コメンテーターの方がそろって「一体誰が嘘をついているんでしょうね」と首をひねっている。

が、度々述べているとおり、「安倍総理は嘘をついているかどうか?」という論点はもはや意味を持たない。安倍総理が虚偽を述べていることは明白だからだ。

「問題は、嘘をつくような人間が、果たして総理大臣としてふさわしいのだろうか?」という点であり、それを議論しなくてはいけない。

 

客観的に、いま判明していた事実を述べる。

  • 柳瀬総理秘書官は加計学園の関係者と三回も面会し、時に会談は長時間に渡った。
  • 柳瀬氏と加計氏が出会ったのは総理主催のバーベキューである。
  • 総理と加計氏は第2次安倍内閣以降、16回会食している
  • 安倍総理は加計氏を評して「時代のニーズに合わせて新しい学部・学科の設置にチャレンジしたいと聞いている」と祝辞で述べている
  • 総理と加計市は腹心の友である

一方、安倍総理はこうも述べている。

  • 具体的に獣医学部を作りたいという話は聞いたことが無い
  • 柳瀬氏と加計学園、加藤官房副長官と加計学園の会合は聞かされていない

安倍総理の答弁と、客観的な状況は明白に矛盾している。

このような状況で獣医学部を作りたいということを聞いたことはなかったとすると、これに対する合理的な説明が必要なことは明らかだ。

 

(6)関係業者との接触等

倫理の保持に万全を期するため、①関係業者との接触に当たっては、供応接待を受けること、職務に関連して贈物や 便宜供与を受けること等であって国民の疑惑を招くような行為をしてはならない。

https://www.cas.go.jp/jp/siryou/kihan.pdf

 この論法が通るなら大臣規範なんて必要ないのである。 「確かに利害関係者と会食もゴルフもしたが、そのような話はしていない」で通せばいい。

そこで何を話したかということは、証明しようがないわけだから、そんなことを論点にすべきではない。

下世話な話ではあるが、普通、既婚者が異性と一定時間密室に入れば不倫が認定される。「一晩中ホテルでトランプをしていました。そうじゃないことを証明してみろ、これは悪魔の証明だ」などと反論したらこの人は正気じゃないと思うだろう。

利害関係者と何度も接触し、また自身の秘書官と接触させた、という事実は状況証拠ではなく直接証拠なのだ。

 

愛媛県から参議院に提出された文書は、公文書である。公文書というのは基本的に100%信頼されるべきものだ。だからこそ、財務省の改ざん問題があれほど大きな問題になった。

この真偽に対して政府はコメントする立場にない、としている。

しかし、本来公文書を否定するのであれば、きちんと反証しなくてはいけない。雰囲気で事実だけを否定して、反証せず「コメントする立場にない」と言うのはおかしな態度なのだ。

このように、公文書の信頼性と国会答弁の信頼性を著しく落としているのは安倍総理の責任である。

 

普通、どれほど支持していた政治家であれ、嘘をついているとわかったなら覚めるものだ。

しかし、安倍総理を支持する層の多くは、総理が言っていたことが事実ではなかったという現実にぶち当たった時、自身の認識を上手く調整することで、総理の無謬性を守っているようにみえる。

このような態度は、既に信仰の領域に入っているのではないか。私もTwitterなどのやり取りやコメントなどの反応を見ることもあるが、はっきり言って彼らのロジックは全く理解ができない。

通常我々が社会的に有している認知では、安倍総理の答弁が嘘ではないと判断することは不可能だ。そう考えるためには、通常と異なる認知を持つ必要がある。

「大川隆法総裁(エル・カンターレ)は全宇宙の創設者である」と信じるのと同じ程度特殊な認知を持たない限り、安倍総理の答弁から、彼が真実を述べていると判断することは不可能だろう。

 

もう一つ、私が気になることがある。安倍総理が「記録を確認したところ、加計孝太郎氏と会ったことは確認できなかった」と述べたことだ。そもそも記録を破棄していると述べたのはご自身である。(その後、「確認できなかった」というのは破棄していたことだ、と官房長官がのべていたが)

嘘つきであることは問題であるが、同時に総理の嘘はすぐばれ、すぐに新しい証拠が出される嘘であるということも問題ではないか。

これは、もう、単なる嘘つきではなく病的な嘘つきである。病的な嘘つきでも総理大臣が務まる、と考えるのは、政治思想ではなく、社会規範を逸脱した信仰である。

 

このような事実は、この国を愛しこの国に生きるものの一人として、大変に辛い事実として受け止めなくてはいけないのではないか。

これは、正しい意味で議会政治と民主主義の危機である。