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安倍総理の答弁を可視化する。質問に答えるのに何分かかる?

国会のアーカイブを見ながら、文字通りひっくり返りそうになった総理答弁があった。質問に対して延々答えずに自説を述べ続ける、この答弁の模様を確認するには実際に見ていただくのが最も良いと思う。

今回は、あえて総理答弁を書き起こした上で可視化する。

登場人物

今井雅人衆院議員

  • 岐阜県選出の衆院議員。2009年初当選の「政権交代組」
  • 元・維新の党幹事長として、おおさか維新とのゴタゴタを経験
  • 通称「マット今井」株式投資に詳しい

安倍晋三総理大臣

  • 友達に優しい

衆議院・今井雅人議員の安倍総理に対する質問

答弁内容のカラーリング

安倍総理の答弁内容について

野次への反応(赤)
野党や民主党政権への批判(青)

自画自賛(緑)
質問への回答(太字)

と言う形で色付けする。

今井議員の質問 

今井雅人議員 総理、戦略特区の案件ですよね。国家戦略特区の諮問会議の議長は安倍総理です。安倍総理がこの疑惑を払拭するために全部調べろと一言言っていただければ、事の真相は明らかになります。ぜひ、文科省にもう一度これを調べろと、総理のご決断で調査をしていただきたい。

安倍総理の答弁

安倍晋三総理 まず、今井議員の前提が間違っているんですよ。この問題の本質はですね、岩盤規制をいかにして穴を開けていくかということですよ。

皆さん、野次はですね、私ども誠意を持って、宮崎さんも野次はやめてください。西村さんも野次をやめていただきますか?国民の皆さん、こうやってね、私が答弁しようとすると、野次で妨害するんですよ。それはぜひ、ぜひやめていただきたい。時間がないんですから、もう野次るのはやめましょうよ。お互いに。そこでですね、お答えをしますが、まず岩盤規制をですね、突破していくというのはね、いかに困難な課題であるかというのは、みなさんもよくご承知のとおりなんだろうと思いますよ。これはですね、安倍政権がいきなり取り上げた問題ではないんですよ。

 

第一次…今「出た」とおっしゃった(今井議員の発言)けど、これ言われるのはよっぽど嫌なんだろうと思うんですが、安倍政権の時にはですね、安倍政権の時にはですね、この申請はいわば受け付けてもいないんですよ。

福田政権のときにですね、この課題をいわば受け取った、これ構造改革特区のときですね。しかし、対応不可で来たものですね、民主党政権になって、鳩山政権のときに、対応するということを決めたわけであります。

更に、二十二年までに結論を出すということだったわけであります。それをですね、安倍政権の時にですね、国家戦略特区と言う形で対応するということを決めたわけであります。宮崎さん笑われましたがね、私が今誠意を持って答弁しているわけですから、今私はファクトを申し上げているわけであります。

 

その中においてですね、まさにこの仕組みというのは国家戦略諮問会議でしっかりと、きっちりと議論をすることになっているんですよ。

そこでですね、このように恣意的なものがはいっているということに対して、民間委員の皆さんは大変怒っているわけですよ。正々堂々たる一点の曇もない議論をしてきたのに、言わば総理の議論で決められたのごとく言われるのは憤懣やるかたない明確にこう委員の皆さんがおっしゃっているわけであります。

 

この議事録も公開をされていますから、そこをしっかりと、そこをちゃんと読んでからご質問いただきたいと思う次第であります。 

ここでですね、私の意向というのは入りようがないというわけであります。そこで決まったもの、加計学園ありきで安倍政権がやったということをおっしゃったわけですが、言わば加計学園ということを前提に民主党政権は課題として検討するということに、加計学園ということが書いてありますよ、皆さん。文章の中に書いてあるんですよ、今治というところとともに。安倍政権になってから、それありきではなくて、愛媛県・今治市という二つに変えたわけでありまして、今治市も公募に変えたという経緯があるわけです。

そうしたものを一切お触れにならずに、延々とこういう議論をされるのは、極めて私は不適切ではないか。それは皆さん、普通一般には印象操作というわけであります。

それと、文部科学省がどう対応しているかということについては、文部科学大臣が答弁したとおりでございます。

 

(ここまで約三分半)

質問に答えられない安倍総理 

 「文科省にもう一度これを調べろと、総理のご決断で調査をしていただきたい。」

「文部科学省がどう対応しているかということについては、文部科学大臣が答弁したとおりでございます。」

 

十秒程度のやりとりで可能な答弁を、個々まで引き伸ばす。これで果たして国会は充実した真偽が可能なのだろうか?

質問に答えられない安倍総理

「切り取り」「印象操作」とおっしゃられる方も居るだろうが、殆どの答弁がこんな感じだ。質問に答えない、延々語り続ける。 野次に反応し、民主党政権を批判し、自画自賛を挟み込み、最後に申し訳程度に質問に答える。

だから、委員長にも何度も注意される。これも異例のことである。

 

この一つのやり取りに、安倍政権の「国会に真摯に向き合わない」という姿勢が如実に現れているのではないだろうか。 

この記事も「印象操作」なのだろうか。そう思われる方は、ぜひ実際の動画をご覧頂くことをおすすめしたい。

 

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安倍総理の「政治主導」が的はずれである理由

安倍総理は国会で盛んに「政治主導で岩盤規制を打破する」と主張されている。しかし、国家戦略特区の設置と加計学園への特権的な認可は政治主導とは呼べない。

一体、政治主導とはなんなのだろうか。その歴史から、真の政治主導の実現を考える。

政治主導の歴史

橋本・小泉の時代

政治主導自体は決して悪いことではない。官僚支配が叫ばれる日本の中で、政治家は様々な形で政治主導をアピールしてきた。

近年で言うと、橋本龍太郎首相が大蔵省を解体して財務省と金融庁に分けた「省庁再編」や、小泉純一郎首相による経済財政諮問会議の設置と拡大、あるいは郵政民営化なども政治主導の一例だろう。

 

省庁の利益よりも政治家のビジョンを優先させる「政治主導」は、多くの国民に歓迎されてきたといえる。

橋本龍太郎小泉純一郎

小沢の目指した政治主導

最もこれらの「政治主導」に血道を上げたのは、小沢一郎だ。

Ichiro Ozawa cropped 2 Yoshitaka Kimoto and Ichiro Ozawa 20010718 colorized

小沢は英国型の議会を目指し、クエスチョンタイム(党首討論)の導入、政府委員制度の廃止など、国会を活性化させるとともに、族議員の生まれにくい小選挙区制の導入、政党助成金の導入などを行った。

小沢一郎、そして羽田孜が目指した政治主導のヴィジョンは、当時の政界において図抜けたものであった。

そして、小沢・羽田の両氏が離党したことにより細川内閣が成立する。この細川内閣の中心と鳴ったのが「日本新党」である。

新党ブームとその残骸

細川内閣の首班である細川護煕が所属したのは、新党ブームで誕生したばかりの日本新党だった。そして、この日本新党には当選一期の若き議員たちが多数所属していた。

野田佳彦、枝野幸男、茂木敏充、海江田万里、前原誠司らの若手、特に松下政経塾を出身とする議員たちは細川内閣の政策立案の中心となり、その後の政界をリードした。

彼らは地盤があるわけではない。その為、法案策定に理想主義を持って望み、それが軋轢を生むことも多かった。

 

ともあれ、日本新党出身の議員はその後様々な形で要職を歴任し、そのDNAは与野党に受け継がれることとなった。

日本新党を母体の一つにする民主党もそうだ。民主党には多く官僚出身の議員がいた。彼らは自ら政策を書き、(日本新党出身の)前原執行部の時代には対案提出路線を目指した。

また、政権交代以降、鳩山政権時には政調や事務次官等会議を廃止するなど政治主導を明確に打ち出すも、「国家戦略局」 は企画倒れに終わり、機能することはなかった。 

内閣人事局の設置

内閣人事局は、第一次安倍政権時から検討されていた。その後「国家公務員制度改革基本法」 が福田内閣にて提出され、渡辺喜美大臣の低減などを盛り込み「官民人材交流センター」の設置などを加えて可決された。

これは当時問題になっていた天下りの防止などのため、という理由もあったが、2014年にこれが施工されて以降、著しく官僚の権限を弱めることになった。

 

これにより、内閣は官僚の人事権を握ることとなり、「政治主導」はここに大きく前進することになった。

真の政治主導に向けて

良い政治主導とは?

さて、ここまで政治主導の事例を見てきた。「良い政治主導とは何か」というと、これはシンプルである。国民の多くの同意が得られた政策である。

そもそも、なぜ政治主導が必要なのかといえば、それは官僚が選挙の洗礼を経ていないのに対して、政治家が選挙という民意をベースにした権力であるからだ。

 

つまり、政治主導とは「国民主導」の言い換えにすぎない。

 「政治主導」とは決して、政治家が自己の利益のために政策を実現することではない。政治家が高い政策理解力と国家のビジョンを有することを前提とし、国民の総意に基づいて省庁の既得権益を越えた政策を実現することである。

 

郵政民営化は圧倒的な国民の支持を受けた。小選挙区制の導入もそうだ。高校無償化や、直近で言うなら消費税率引き上げの先送りもそうだろう。

これらの政策は、個々の是非は別にしても、国民の総意に基づいて、省庁の反対を押し切って実現したものである。

政治主導の前提は、それが国民の高い期待に基づいた政策であることだ。

 

加計学園をめぐる問題

そもそも、岡山理科大学の獣医学部設置を巡って、政治家にビジョンはあっただろうか。

まず、獣医学部そのものの必要性も必ずしも国民の総意に基づいているとはいえない。足りていないのは地方の畜産を中心とした獣医であり、偏在の原因は待遇改善であるという声もある。

獣医業界の複数の関係者は「産業動物獣医や公務員獣医は多くの地域で不足しているが、ペット獣医は余り気味」と証言。全体として数は足りているとみる。 

畜産などの先端ライフサイエンスを研究するのであれば、京都産業大学の方が遥かに適しているわけで、今治市を前提にした理由はさっぱり伝わらない。

加計学園問題は「政治主導」なのか?

加計学園をめぐる問題は決して「政治主導」の問題ではなく、単なる利益相反をめぐる醜い争いである。

安倍総理は小泉首相を見習ってか、盛んに「抵抗勢力」と呼んでいるが、そもそも国民の多くが納得していない加計学園をめぐる説明を政府に求めることこそが、「政治主導」である。

 

政治主導とは、国民の十分な議論に耳を傾けた政治家の方が、密室で何かを決める官僚支配よりもいい、という前提に基づいているわけで、何か資料提出を求めても出さなかったり、まともに国会で議論をする気のない人がやったところでそれは「政治主導」を云々言うのは的はずれだろう。

安倍首相、その人自身が「抵抗勢力」であることを如実に表しているといえるだろう。

 

今だから小沢一郎と政治の話をしよう

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悪党―小沢一郎に仕えて

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小沢主義(イズム)―志を持て、日本人 (集英社文庫)

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真実は、政府が決めてくれる

前川事務次官を巡る報道は、およそ政府から独立したメディアとは思えない醜悪なものだった。「プラウダ」のようだ。

一般紙、それも公称800万部以上を誇る読売新聞の社会面に、既に退職した一私人のゴシップが乗る。これは明らかに異様な光景だ。

 

以前、私はこのような記事を書いた。

しかし、昨今の政府の姿勢は、更にエスカレートしている。

 

前川氏への個人批判

「そうした状況にもかかわらず、当初は責任者として自ら辞める意向をまったく示さず、地位に恋々としがみついていた。その後、天下り問題に対する世論からの極めて厳しい批判にさらされて、最終的に辞任された方と承知している」と、前川氏を強い口調で非難した。

菅官房長官は、「地位に恋恋としがみついていた」と批判した。さらに「出会い系バー」に対しても批判をしている。

文書の信憑性などについて一切誠実に答えること無く、完全に個人攻撃に走ってしまった。

 

それとともに、驚くべきことがあった。

朝日新聞デジタルは、森本氏が帰国中に、私的な会食の場で安倍政権の対応を批判したことを、首相官邸が問題視していたと複数の政府関係者の話として報じている。

総領事の任期は通常2~3年間で、約1年での交代は異例だ。しかし、菅義偉官房長官は1日午前の記者会見で「通常の人事だ。過去何例もある」と説明した。

「私的な会食の場で」対応を批判したことが問題視され、更迭に至ったという報道だ。この報道に関しては、信憑性は明らかではない。しかし、異例の更迭であることは事実である。

 

政権の発するメッセージ 

そう、現政権の発するメッセージは、一貫している。そして、極めてシンプルだ。

 

「楯突けば仕事がどうなってもわからないぞ」

「どんな報道をされても文句を言うな」

 

意味するところは明白である。

土屋正忠議員が、階猛議員に「テロ行為だ」という野次を飛ばしたことがあった。この行為こそ、今の政権の発するメッセージを端的に表しているのではないか。

 

政府の印象操作が機能する理由 

これは支持者を無視した暴走なのだろうか?

いや、そうではない。安倍総理を支持している方々は、むしろこういった対応に好意的であるようにすら見える。

 

権力は、どんな人間であろうと「怪しい人間」にすることが出来る。お抱えのメディアが「批判が上がりそうだ」などという書き方で、いかにもろくでもない人間であるように、印象付ける事ができる。

そうすれば、その後の「怪しい人間が言ったこと」は全て無意味な虚構になる。だから反論する必要すらない。

つまり、怪しい人間だと政府が認定してくれた人間の言うことは聞く必要がない。だから疑惑について真剣に考える必要はないのだ。

 

安倍政権は「常に正しくあってほしい」という願望に答え続けている。

 「真実は我々が発表したことであり、それ以外に存在しない」という姿勢を維持している。

 

少しでも政権に失望しそうな報道があれば、すかさずそれを否定する「真実」を政府が教えてくれる。だから、政府が我々を失望させることはない。

 

前川氏は出会い系バーに行きながら怪文書をばらまく抵抗勢力であるから、彼が何を言おうと、そんなことは信じなくてもいい。

国連報告者は、無責任な個人で人権団体の回し者だからその書簡には価値がない。

民進党は支持率が低いから彼らが何を追求しようと応じる必要はない。

 

政府による印象操作とは、

あいつは怪しい人間だから、あいつの言うことを真に受けるな」という形で自らにかかった疑惑を振り払う政府と、

なるほど、あいつは怪しいんだな。ならあいつの言うことは聞く必要がない」という大衆の両方を持って完成する。

 

 今の政府は実に優しい。我々が何を読み、何を考えたら良いか、あるいは真実を何だと思うべきかを教えてくれる。

 

「前川の言うことは嘘だ、なぜなら出会い系バーに出入りしていたからだ」

「読売新聞を読めばわかる」

「信じる必要はない、怪文書だ」

 

真相を明らかにして、国民の頭を悩ませる事もない。

政府が言うことが真実になるのだから、真実を探す必要はないのだ。国会と見なくていい。証人喚問や公文書の公開も不要である。

真実は政府の発表のとおりであり、「怪文書だ」といえばそれは怪文書なのだ。

 

これは皮肉でも揶揄でも冗談でも誇張表現でもない。「『そもそも』という言葉には『基本的に』という意味が含まれている」という珍妙な閣議決定をした国は、なんだって可能なのだ。

何か頭を悩ますことがあれば、政府の発表を待てばいい。それは信じるべき情報かどうかは、政府の方々が教えてくれる。

 

何と優しい国家だろうか。

「どうすればいいって言うんだ?」彼は泣きじゃくった。「目の前にある物をどうやって見ればいいって言うんだ?二足す二は四だ」


「時には、ウィンストン。時には五にもなるんだよ。時には三にもなる。時には同時にそれら全てにもなるんだ。君は頑張らなくちゃならない。正気になるのは簡単じゃない」

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

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国会で総理の答えていない疑問点をまとめてみる

安倍政権を巡る議論

情報公開の重要性

私は一貫して申し上げているのは、

疑惑を晴らす義務は政府にある。政府は情報公開をしなければいけない。政府が説明しないなら、疑惑は真実であるとみなすべきだ。

ということである。シンプルに言えばこれだけだ。

行政府が適切に情報交換しない限り、野党に問題を立証することは出来ない。なぜなら全ての証拠は政府の内側にあるからである。

 

だから、情報公開をしない疑惑に関しては、一貫して行政府に立証責任を求め続けるし、立証責任を果たさない限りは、その疑惑が真実であると考えざるを得ない。

ドリルで証拠を壊せば、証拠がないから政治的責任を取らなくていい。そんな馬鹿な話があって良いわけがない(実際あったわけだが)。

 

外交文書や防衛に関する情報であればもちろん一定の配慮が必要だが、国有地の売買を黒塗りにしたりする必要性はまったくないのだから、情報の透明性が担保されていないなら、それは「クロ」ということなのだ。

 

政府に用いられるべきではない「推定無罪」

「推定無罪」は、立場の弱い被告人を国家から守るための原則であり、政府はそうではなく、徹底的に疑惑を晴らす義務を負っている。

 

政府の疑惑を追求しようとすると「証拠がない」という人がいる。しかし、そもそも政府が適切に情報公開しない限り、真偽を明らかにすることは出来ないのだ。

だから、政府による情報公開と徹底した追求が果たされない限り、森友学園問題も加計学園問題も「疑惑が真実である」と考える他無い。

 

政府が果たしていない説明責任

権力と説明責任はセットである。少なくとも民主主義国家においては、説明と情報公開を前提に我々は政府に権力を委託しているのだ。

 「必要ないのが理由だ」とか「勝手に言っていることに答えない」とか、そんな不誠実な答弁はありえないのだ。

 

選挙と民主主義

また、疑惑の追及は選挙とは切り分けて考えるべきだ。

自民党支持であろうが公明党支持者であろうが、行政府がおかしな法案を出したり、癒着や汚職がある時は、監視機能を果たさなくてはならない。

 

何かの疑惑がある時に「でも民主党政権では…」といちいち持ち出す総理は、民主主義の前提を理解されていないのではないか。

 

国会は法案や予算案を審議する場であり、予算が適切に執行されているか、あるいはその法案が本当に必要なのかを議論する場なのだ。

民主主義は、選挙で代表者を選んで後は全権委任をする、ものではなく、我々の「不断の努力」で実現するものであるはずだ。 

共謀罪に関して

金田大臣の資質は適切なのか?

 金田大臣の資質は、本当に大臣として適切なのだろうか?

「私の頭脳の問題で対応出来ない」といい、前例を無視した刑事局長の招致に始まり、金田大臣がまともに問題を理解しているとはいいがたい。

 

著作権法の予備罪とは何なのか?

共謀罪法案に関しては、もはや法案と呼ぶのすら厳しいほど様々におかしな点があるが、一点上げるとすればこの点だ。

 民進党の枝野幸男氏は、共謀罪の対象犯罪に著作権法違反(著作権侵害)が含まれていることを疑問視。

日本音楽著作権協会(JASRAC)がピアノ教室などの演奏に著作権料を課そうとしている問題に触れ、音楽教室の人たちが「組織的犯罪集団」に当てはまりかねないと指摘した。

そもそも、著作権法違反は親告罪であり、親告罪の事前準備行為とは何であろうか。具体的被害がない段階で、著作権法違反を犯すための準備行為とは何なのか、適切な答弁がなされていない。

そもそも、著作権法を共謀罪に入れる理由は何なのか?このようになぜ逮捕要件になっているのか理解しがたい罪状が極めて多いのが共謀罪だ。

 

一般人は逮捕されないのか?

金田法相は「一般人は対象にならない」と度々述べているが、そもそも捜査とは一般人を疑って、犯罪を犯したかどうかを調べるものである。 そう考えれば、一般人が対象にならない、というのがいかに茶番であるかは理解できるだろう。

共謀罪は、実行の前段階で逮捕権限を与える罪であり、このような不誠実な答弁は、今後の司法のあり方にも疑念を抱かせる。

 

そもそも、これら全ての問題は、「警察は決して間違った逮捕はしない」という万能主義によって立っている。警察は当然間違えることもあるし、冤罪も存在する。

しかし、現実的に、日本では逮捕されればほとんど有罪、逮捕状請求もそもそも殆どが許可されている。

このような現状でさらに警察の権限を拡大することが、いかなる悲劇をもたらすのか、我々は正確に見極める必要がある。 

 

森友学園問題

財務省は適切な調査をしたのか?

①有益費の算出の際に、廃材や生活ゴミを撤去対象にしなかったのはなぜか。その判断に至った関係者とのやり取り記録と、役所内の決裁文書
②8億円の値引き額算出の際には、一転して廃材や生活ゴミを撤去費用の対象に含めることにしたのはなぜか。その判断に至った関係者とのやり取り記録と、役所内の決裁文書

情報を開示しなければ、財務省や国土交通省に対する疑惑は益々膨らむことなる。
もはや「廃棄したからありません」では済まされない。削除した電子データの復元の可能性を財務省が認めたとの報道もある。残っている関連資料をすべて開示にすべきだ。

経産相の総理夫人付き補佐官は、本当に個人で FAX を送ったのか?


首相夫人付きの経産相の職員が、籠池理事長に対して「昭恵夫人には報告しています」と述べたFAXが発見されている。

これに対して、政権側は一貫して「職員個人の判断で行った」と述べている。しかし、夫人付きの職員、しかもいわゆるノンキャリアの職員が個人の判断で行うなどということがありうるのだろうか?

 

ここから浮かび上がるのは、自称「私人」である夫人が、かなりの強い権限を省庁に対して持っていたのではないか?という疑惑である。

これは国家のガバナンスとして適切なことであろうか?

 

加計学園問題

加計学園については再三述べているため、ここではあえて一個だけに絞る。

なぜ京都産業大学が落ちたのか?

広島・今治は「観光・教育・創業などの国際交流・ビッグデータ活用特区」である。獣医学部とは何も関係がない。

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/tiiki/kokusentoc/dai18/shiryou2-1.pdf

そもそも、「一校だけ」、しかも四国という限られた地域に付与するとなれば、以前から何度も申請してきた加計学園くらいしか申請できないというのは予期できるだろう。

そうすると、これは特区というより特定の学校法人に対する利益供与でないか、とすら疑われる。 

そもそも、安倍総理は利害関係者ではないのか?

 通常、民主主義国家であれば、総理大臣の利害関係者に対して、慎重になるべきだと考えられる。しかし、安倍内閣は全くこの点について無頓着な印象を受ける。

稲田防衛相 夫名義で軍需株/5社で計2万2000株/初入閣後に取得か

今村復興相 東電株8000株保有/本紙指摘で「報告書」訂正/問われる閣僚の適格性

 

例え何ら関係のない友人であれ、利害関係者に対してはあえて自制するというのが権力者に求められる自己抑制である。

自衛隊の日報問題

なぜ、統合幕僚監部は、電子データの存在を確認してから1か月間も、大臣に報告しなかったのでしょうか。

▽どの部分を黒塗りにして公表するかの調整に時間がかかったこと、

▽年末年始の休暇をはさんでいたことを理由にしているようですが、

大臣への説明の準備に1か月もかかったというのは、いくらなんでも遅すぎる印象を受けます。

 

2016年10月に情報公開請求があり、防衛省は12月に入って、日報は破棄されていたとして、開示をしなかった。
しかし、実際には破棄されておらず、組織的な隠ぺいの疑いがあるとして、現在、防衛省で調査が行われている。

戦闘ではなかったのか?

そもそも、この問題は、日報に「戦闘」と書かれていたことから、その文言を隠蔽するために廃棄したのではないか?という疑惑が持たれた事件である。

南スーダンで何が起こったのかを知ることは、憲法など日本の防衛のあり方を国民が議論し、考えるために欠かざる重要な情報だ。それが国民の目から隠されていたとすれば、背筋の凍る話である。

 

本当に、「隠ぺい」していないのか?

日報問題に関しては、そもそも疑問点の他無い。なぜこのような重要書類が廃棄されたのか。防衛大臣が知っていたなら当然問題であるし、知らないうちに廃棄されていたのであれば更に問題である。

日本のガバナンスやシビリアンコントロールを脅かす極めて重要な問題だ。

刑法の性犯罪等改正案

なぜ「先入れ先出し」ではないのか? 

もう一点、刑法改正について述べておく。

 改正案は、強姦(強制性交等)罪や強制わいせつ罪などについて被害者の告訴がなくても加害者を起訴できる「非親告罪」化する。また、強姦罪と強姦致死傷罪の法定刑の下限を懲役5年と懲役6年にそれぞれ引き上げ、加害者と被害者の性別も問わなくする。強制わいせつ罪で処罰される行為のうち、悪質性の高い一部の行為は強姦罪として処罰できるようにもする。

長らく停滞していた日本の性犯罪処罰において重要な改正だ。特に、親告罪である強姦は、被害者に過剰な負担を強い、実際に起訴まで至らない強姦が多いことで知られている。

また、男性の強姦被害者は、ほとんど表に出ていない。

 

この法案は成立の見込みであったものの、本来の「先入れ先出し」の原則に廃して、店晒しにあっている。

 

本来、共謀罪法案よりも先にこの法案について真偽をし、速やかに成立させることが求められているはずだ。

与野党共にに求めながら、疑問点の多い法案を成立させるために、本来重要な法案が後回しになるのでは本末転倒の極みだろう。

 

まとめ

今国会で質問されながら、答えられていない事項はあまりにも多い。これは、今までの政権と比べても異質な数だ。

国会が国会として成立するためには、これらの疑問に対して答え、情報公開を行う他無い。

 

国会とは何なのだろうか?それは議員が質問をし、それに政府が答える場だ。質問に答えない政府は、三権分立を前提とした自由主義国家の政府としては不適切だ。

積み残された問題に対して、政府の誠実な回答を期待したい。

人はどのように政治的な腐敗を見過ごすのか

本稿でいいたいこと

  • 私たちは何かを信じたいとき、「それは信じられるものなのか?」と自分自身に問う。
  • それに対し、何かを信じたくないときには、自分自身に「それは信じなくてはならないものなのか?」と尋ねる。 

加計学園問題について

ここ数日、加計学園問題などを眺めていて、その反応に驚きを覚えることが多かった。

最大の驚きは、専門家であるはずの方々から、あたかも「加計学園問題は国会で問題にすべきことではない」というような趣旨の言説が見られたことだ。

 上記で申し上げたとおり、加計学園問題は、行政のあり方、透明性、公平性と言った観点で極めて重要な問題である。誓っていうが、10年前にこのようなことが起こったなら今とは全く違った反応だったはずだ。

仮に全てが疑惑であり、永田メール事件のように単なる捏造であったのだとすれば、告発者側が責任を取らなくてはいけないはずだ。

 

政府は参考人招致も「呼ぶ必要がなく」、追加の調査も「行う必要もない」としている。これは問題の隠蔽と取られてもやむを得ないのではないか。

前川会見に関する反応

さて、本論に入る。先般、前川喜平・前事務次官が、いわゆる「総理のご意向」文書について、その存在を認める旨の会見を行った。

 

これに対する反応は様々だったが、政府の対応を支持する人も一定数いた。彼ら彼女らの反応を観察していたところ、そこにはいくつかのパターンがあった。

  1. 前川氏は出会い系バーに行くような人間だ。このような人間の言うことを信じる必要はない
  2. そもそも加計学園の問題は何ら問題ではない。なぜなら官僚が上司の言うことを聞くのは当たり前だからだ
  3. 獣医学部設置は日本の国家戦略の重要な課題だ、既得権益の反対によって獣医学部の新説が頓挫してはいけない
  4. 何があっても民主党政権よりはマシだ。こんなことで政権が倒れてはいけない

まあ他にも色々あるかもしれない。

 

興味深かったのは、加計学園問題を「問題ない」とする場合でも、そこには色々なパターンが有るということだ。

「仮に口利きしていたら問題だが、文書は偽物でありそんなことはない」というケースも「口利きしていても問題ない」というケースもあった。

 

つまり、ある種の問題に目をつぶるに対しても、そこには様々なやり方がある、ということだ。これは、なぜだろうか。

社会は左と右にわかれるのか

ジョナサン・ハイトの「社会はなぜ左と右にわかれるのか」という著作がある。道徳心理学という分野を扱った良書だ(この本の書評は後日書きたい)

社会はなぜ左と右にわかれるのか――対立を超えるための道徳心理学

社会はなぜ左と右にわかれるのか――対立を超えるための道徳心理学

 

 ここに、このような一説がある。 

社会心理学社のトム・ギロヴィッチは、異常な信念の認知メカニズムを研究している。彼の簡潔な定式化によれば、次のようになる。

 

私たちは何かを信じたいとき、「それは信じられるものなのか?」と自分自身に問う。

そして次に、それを支持する証拠を探し、一つでもそれらしきものが見つかると、そこで思考を停止してしまう。

それを信じる許可が下りたからだ。誰かが質問をしても、理由を応えられる。

 

それに対し、何かを信じたくないときには、自分自身に「それは信じなくてはならないものなのか?」と尋ねる。

それから反証を探し、たった一つでもそれが見つかれば、信じたくないものを放棄する。「しなければならない」の手錠を外すには、たった一本の鍵で十分なのだ。

 

心理学者はいまや、「人は自分の望む結論に達するために様々なトリックを使う」という「動機づけられた推論」の存在を示す証拠を、山ほど抱えている。

知能テストの成績が低いと言われた被験者は、IQテストの正当性に疑問を投げかける論文を好んで読む(のだ。) 

これは、極めて重要な示唆である。

 

何か自分にとって「不都合な事実」を見つけたとする。

しかし、現代において、インターネット上で、見つけようと思えばそれに対する反証はいくらでも見つかってしまう。

そして、例えば何か一つでも反証が見つかってしまえば、その「不都合な事実」は、もはや信じる必要が無いのだ。なぜなら、真実とは完全無欠でなくてはいけないからだ。

 

その人物が過去に「左翼的/右翼的」な発言をしていれば、「なるほどこいつは左翼/右翼だ!」と納得して、それで反証が完了したと思っている人もいる。

我々は真実とは完全なものである、それして、それは語り手の無謬性を含む、と考えがちなのだ。しかし、止まった時計が一日に二度正しい時刻を示すように、信頼できない語り手が真実を語ることもあれば、逆のこともままあるのだ、実際のところ。

しかし、我々は多くの場合、語り手の欠点、あるいは納得できないポイントを一つ見つければ、それを持って反証が完了した、と考えてしまう。(その意味では、前川氏に対する読売新聞の報道は極めて効果的であったといえるかもしれない)

 

政治、というフィールドで考えると、これは、実に難しい問題だ。

自民党にせよ民進党にせよ、抱えている問題はある。そして、双方の支持者が、相手の問題に目を向け続ける限り、永遠に議論は噛み合わない。

 例えば、野党が政府を追求すると、決まって政治家個人の過去の問題を批判するコメントが付く。しかし、本来、追求する人間の問題と、その疑惑や追求されている問題の真偽は全く別である。

 

昔は少し状況が違ったはずだ。なぜだろうか。

新聞やテレビは一つの問題について大きく取り上げたからだ。そして、今ほど情報が溢れていなかった。だから、その問題について「これは問題なのかもしれない」「これは支持政党であってもやはり謝罪すべきだ」と考える時間があった。

 

しかし、現在であれば、少し「これは信じたくない」と感じれば、どのような証拠でも探すことが出来る。いや、探す必要すらないかもしれない。Twitter を10分ほど見ていれば、自分の気にいる「証拠」が流れてくるだろう。

  

こういう実験も紹介されている。「共和党支持者(別に民主党でもいいが)に、共和党にとって不都合な事実を知らせると、不快感を感じるが、それを打ち消すような事実を知らされると、それ以上の快感を得る」

不都合な事実を打ち消すことは、人間にとっては大変な快感である。なぜなら、それまで築き上げてきた自分の信念(ビリーフ)を変えることは、大変な負荷のかかる行為だからだ。

 

だからこそ、アメリカ大統領選挙でもフェイクニュースが大変な話題になったわけだ。都合のいい「事実」を作ってくれるなら、人はいくらでもPVを発生させるのだ。

左右の対立を超えて

さて、ここからが私の本論である。

読んで頂ければわかるが、私は政府の対応を批判しているし、支持者の反応に対してもあまり気分の良い書き方をしていないかもしれない。しかし、このようなことは左右の立場を越えて起こりうる、と考えている。

民主党政権時代は民主党支持者が同じことをしただろうし、もし国民連合政府なるものが実現すれば、共産党支持者も同じことをするだろう。

 

私も、私の応援している政治家の不祥事が起きた時は、やはり私もまずそれを否定する解釈を Twitter でつい探してしまう。そういう心情は、誰しもあるだろう。

 

だからこそ申し上げたいのは、本稿を持って「ウヨクは/サヨクは」などと語ることは、本稿の趣旨を歪めることになる、ということだ。

そうではなく、我々はインターネットが普及した現在では、「不都合な事実」を極めて見過ごしやすい環境にある、ということである。(もちろん、デマが広まりやすいという言い方もできるが)

 

我々は自分たちが思っているほど頭がいいわけではない。逆の立場になれば、我々はいとも簡単に自分を正当化してしまうのだ。

逆の言い方をすれば、政府が支持者向けに強弁しやすい環境にあるとも言える。

 

だからこそ、事実が何より大事だ。我々は感情的な生き物だ。だからこそ、事実というフィールドで戦うべきなのだ。そして、国会とは本来、そういう場であったはずだ。

地道な答弁の整合性、きちんとした公文書の管理こそ、そういう国会を支えていたはずで、その点で考えるならやはり今の政府の対応は極めて問題である、という結論に至る。

政府は手続きに則った形での公文書の保存と、情報の透明性の担保を行うべきだ。公文書を廃棄したり、都合の悪いことを隠したりするべきではない。

 

歴史の検証に耐えうる政府を、我々は作らなくてはいけない。真実を検証し、光を当てなくてはいけない。そして、事実を元に冷静な議論をする環境を整えなくてはいけない。

そうしない限り、我々は常に真実から逃げ続けることが出来るのだ。

本稿のまとめ

  • 人は、都合の悪い結論には「たった一つでも反証できそうなこと」を探す
  • インターネット時代には、あらゆる物事に関して簡単に反証が手に入る(その真偽は別にして)
  • よって、自分にとって都合の悪い事実は、簡単に無視するための状況が整っている。

出会い系バーと文書の真偽は何ら関係ない。前川喜平・元事務次官の会見について

その日、私は文字通り驚愕した。

既に辞任した官僚の、私的な行動が、日本最大の新聞社の社会面に堂々と乗っていたのだ。週刊誌でもやらないような報道だ。既に辞任した事務次官の個人的行動にニュースバリューは大してないはずだ。

 

左右の思想の違いはあれど、これは明らかにジャーナリズムの一線を踏み越えた報道ではないか。

前川氏が何を語ったのか

まず申し上げたいのは、前川氏が極めて理性的に、かつ穏健に事実を語られていたことだ。

前川氏は、倒閣をしたいとも語っていない。誰かの責任を追求しようとも思っていない。松野大臣に関しても、自分の上司であったということだろうか、「気の毒だ」とおっしゃっている。

全体的に、文科省の後輩に対して大変配慮をされた内容であったのではないか。

では、なぜ前川氏は、わざわざリスクを負ってまで会見を開かれたのだろうか。

在職中に存在していた文書。確実に存在していた。あったものをなかったことにはできない

会見中のこの発言が全てではないだろうか。一つだけ、前川氏の発言の中で、伝えたかったことがあるとすれば、それは「文書は実在した」このたった一つである。

更に語られたもう一つの重要事項

もう一つ、前川氏が語った重要事がある。

  • 人材需要があるということが明確にならなくてはいけないが、明確になっていない
  • 四つの条件が必要である、ということが閣議決定されている。
  • 加計学園は、その四条件全てに合致していない。

つまり、当時の文部科学省(の事務方のトップ)は、このように加計学園が閣議決定に反していると明確に認識していたのだ。

にも関わらず、加計学園の国家戦略特区は認められた。これはとても重要なポイントだろう。

 

前川氏が言いたかったこと

私は、率直に言えば、文部科学省に対していい印象を抱いていない。日本の文部行政は失敗だらけだったと考えている。

更に、前川氏は天下りで辞任したわけで、その問題に関してはやはり、一定の責任があるだろう。

また、この「貧困の現場を知りたかった」というのが、にわかには信じがたい話であるのも事実である。だが、そんなことは全てどうでもいい。

 

仮に彼が出会い系バーに毎日出入りしていようが、援助交際をしていようが、それは証言の信憑性には影響しない。法的な問題があるなら法的な場で決着が付けばいい。

 

なぜ関係ないか。これは「元事務次官」としての発言だからだ。元事務次官が話している、その事自体が重要なのであって、彼の人間性は重要ではないのだ。

例えば、交通事故の目撃者がいるとしよう。彼が不倫をしていたら、目撃証言は無効になるだろうか?

 

前川氏は、文部科学省の事務方のトップであった。事実上、彼以上にこの問題に関して信頼性が持てる人間は存在しないはずだ。

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菅官房長官の「地位にしがみついていた」という発言は全く的はずれだ。

事実に答えずに告発者の人間性を貶めるのは、最も汚いやり方ではないだろうか?

 

文章は事実であった」これが前川前次官が訴えたかったたった一つのことであり、そしてこれは、ここまでの証言を見る限り否定しがたい事実である。

否定するなら、文部科学省と官邸は相応な調査をすべきだろう。しかし、その様子は全く見えない。つまり、現時点では事実であると考える他無い。

それが、前川氏があらゆるリスクを背負って発言した意味である。

 

前川氏の発言を最後にもう一つ紹介する。TBSのインタビューでの発言だ。

政府の中でどの様に意思決定が行われているのかを国民が知ることは民主主義の基本の基本。決して内閣の転覆を考えているわけではない

文部科学省は、一貫して「確認できていない」と語り、官房長官は「怪文書」と語る。白黒や真偽をはっきりする努力すらしていない。

これで民主主義が成り立つのか?という前川氏の指摘は正しい。

 

民主主義の前提は、事実が事実として認められた上で公平な議論がされることだ。事実が事実として機能しなくなれば、当然司法も立法も機能しない。

司法も立法も機能しなくなれば、その国家は民主主義国家とは呼ばれないだろう。

 

政府は、事実に明確に答えるべきだ。事実は誰が語ろうが事実だ。語り手の信用を貶めることで、真正面から議論に応じなくてもいい、と政府が考えているのであれば、それはあまりにも拙劣な対応であると言わざるをえない。

真理はたいまつである。しかも巨大なたいまつである。 だから私たちはみんな目を細めてそのそばを通りすぎようとするのだ。 やけどする事を恐れて。

ゲーテ

国家戦略特区での特権的な認可は、自由経済に逆行する縁故主義だ

 駒崎弘樹氏、三浦瑠麗氏が、加計学園に関する所感を発表されている。 

 

本稿はこれに対し、加計学園問題がいかに重要な問題であるかをまとめておきたい。 

 

 

 

加計学園実名文書の真偽

学校法人「加計学園」(岡山市)の獣医学部新設計画に関する複数の記録文書の一つに、実名が記載されている日本獣医師会顧問の北村直人元衆院議員が18日、取材に応じ「(自分が登場する)文書に書かれた内容はほぼ事実だ」と証言した。 

加計学園をめぐっては、証言者、かつ元議員がこのように語る以上、「総理のご意向」と書かれた文章の信ぴょう性は相当に高いものと考える。また、次々にリークされる文章も合わせると、なんらかの総理の意図が反映されていることは疑い難い。

論者の焦点はそれがどの程度問題であるのか、というところに移ってきたのではないか。

個人的に驚きなのは「口利きや忖度はなかった」ではなく「総理の意を汲んだ口利きや忖度があったとしてもそれは問題ではない」という種の主張が、堂々と、見識ある方の口から飛び出ていることである。五年も前なら考えられなかったはずだ。

なぜ獣医学部の認可が問題なのか

まず、この国家戦略特区は、規制緩和・規制改革に真っ向から逆行するものであることを申し上げたい。

なぜなら、この国家戦略特区は

  • 一校のみ
  • 四国(空白地域)に限定して
  • 長くに渡って申請している学校に

与えられた認可であるからだ。これは、実質的には「加計学園ありき」で与えられた特権的な認可である。

かねてより準備を進め具体的提案を行ってきた自治体を中心に、具体的プロジェクトとして、実際の獣医学部の立ち上げを急ぐ必要があり、そのための規制改革、すなわち関係告示の改正を、直ちに行うべきである

という決定がなされ、更にその後京都産業大学が応募してきた時に「獣医学部の空白地域に限る」という点を付け加えたことになっている。

 

これにより、畜産との関わりも深く、ノーベル賞受賞者の教授までいた京都産業大学が、その規制により頭ハネを食らっている。 

 

また、昨日の小池議員の質疑により、原案であれば京都産業大学が参加可能であったところ、あえて条件を絞ることで一本化されたことも示唆されている。

 

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これは、意図的に京産大をレースから除外した、と言われてもやむを得ないのではないか。

加計問題の本質

実は、この問題の本質は、加計学園が認可されたことではない。京都産業大学(や、その他の希望する大学)が不当な理由で認可されなかった、あるいはスタートラインにすら立てなかったことにあるのだ。

公平なルールに則って市場の判断に任せるのが自由市場の大前提である。加計学園のケースは、もはや市場原理主義にすら値しない。

 日本人のメンタリティーに、国家が社会的な供給量を決めてしまう、社会主義が浸透してしまっているのでしょうか。社会主義はどんなに頑張ってもうまくいきません。

三浦氏は獣医学部新設への規制は不要の規制と述べ、作りたい大学は作ればいい、無用に大学の数や学部数をを規制するのは社会主義的だ、ということを述べられている。

しかし、今回のケースこそまさに「社会主義的」ではないか?とりたてて理由もないのに、特定の大学が申請すらできなくなった様子こそ、役人の胸先三寸で全てが決まった東ドイツやソ連を思い起こさせる。

教育への国費投入の増加は間違いなく、国家による介入と統制を伴うでしょう。

また、私はその論の前提となる「大学教育への公的支出は不要」という論旨にも反対だ。日本がOECD加盟国の中で教育への公的支出が最も低いレベルにあることは周知の事実である。

しかし、日本よりも経済の自由度ランキングで上位に位置するフィンランド・エストニア・デンマークなどは教育への公的支出が多いことで知られている。

経済自由度指数 - Wikipedia

つまり、教育公的支出の拡大は、自由市場経済を脅かしたり、ましてや日本のソ連化を招くものではない。むしろ、教育への公的支出の拡大は日本の国際競争力担保のためには喫緊の課題である。

 

だからこそ、大学認可の公平性は重要な問題である。これが担保されなければ、教育予算に対しても疑問符がつけられかねないからだ。

 

旧共産圏の最大の問題は、デュー・プロセスの機能不全と監視機能の崩壊だった。

計画経済の破綻や大躍進政策の失敗は巧妙に隠され、物資は不足し多数の餓死者が出たが誰も責任を取ることがなかった。それにより経済が大きく停滞したことは論を待たない。公正さは経済の潤滑油だ。

 

縁故主義や利益相反や、その他もろもろの不公正を生む土壌を無くし、腐敗を一掃することこそ、本来の市場の機能を取り戻すのに、必須なのだ。

加計学園をめぐる利益相反

やはり同学園が運営する千葉科学大学では、安倍総理最側近の萩生田光一官房副長官(53)が「小遣い稼ぎ」をしていた。

萩生田氏は、安倍総理の代理として靖国神社に玉串料を納めるなど重用され、総理の政界における「まさに腹心の友」で、先の日米首脳会談にも同行した。そんな萩生田氏だが、

「09年の総選挙で落選して以降、千葉科学大学危機管理学部で客員教授を務めています」(政界関係者)

 そもそも、加計学園の獣医学部新設の前提は、2015年12月、国家戦略特区に今治市が指定されるのが決まったことにあるのだが、

「翌年4月から、文部科学省の役人ふたりが加計学園に天下りしています」と、福島氏は説明する。

「そのひとりの木曽功氏(元文部省高等教育局私学部私学行政課長)は、安倍内閣で内閣官房参与を務めていた安倍総理のお友だちと言えます」

福島議員が語るように、加計学園に関しては、総理側近や行政府の人間による利益相反の疑いもある。

諸外国の常識に鑑みれば、このような状態で、「大した問題ではない」という学者がいる、という方がよほど「ソ連的」ではないか。 

最後に

駒崎氏はこう語っている。

国家戦略特区は、この国に溢れる意味のない規制を改革する、唯一と言って良い武器です。それが、どこが悪いのかいまいち不明瞭な加計学園問題によって抑制されて、改革の武器を失ってしまうのは、国益を失うことと同義です。

規制改革は必要だが、それは公平なデュー・プロセスが担保された上で成り立つべきものだ。

 

特権的な認可は、規制改革ですらなく、掃いて捨てるほどある単なる縁故主義にすぎない。

このような縁故主義に対して立法府が監視機能を果たすことこそ、真に「国益」を失わないために重要ではないだろうか。

国会が無力化した夜

 共謀罪(テロ等準備罪)法案を巡って、国会は完全に無力であった。

 

法案が可決したからではない。法案が可決することは、かねてから予測できていたことだ。

議院内閣制のもとでは、原則的に政府提出の法案は100%可決する。法案が可決したことだけを見れば、それは当たり前のことだ。しかし、その過程において国会は無力であった。

 

以下、共謀罪真偽をめぐる疑問点を提示したい。

 

1. 金田大臣は本当に法務大臣として適切な人間なのか?

かつての国会には、少なくともあのような稚拙極まりない答弁をする人間を、より適切な人間に変更するだけの自浄作用が働いていたはずだ。

あるいは、少なくとももう少し練った答弁が出来るまで採決を控えるだけの見識が存在していたはずだ。

 

私は問いたい。金田勝年法務大臣は、日本の法務行政を司る人間として適切なのか?
共謀罪を巡る彼の政府の答弁は、本当に納得のいくものであったのか?

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この答弁を聞いてほしい。この答弁を聞いて、未だに法務大臣の職責を担うことが出来る人間であると考えるのだろうか?

 

これまでも稚拙な答弁は度々あった。しかし、あの様な答弁しかできない大臣が、なんら代わること無く、法案が可決する、というのは異様である。(安保法制の時の中谷防衛大臣と比べてみよう。中谷大臣は少なくとも、真摯に誠実に答えていた)

 

どのような法律であれ、その疑問点や抜け漏れを指摘し、より良いものにブラッシュアップする、あるいはそれが不可能なまでも、議事録を積み上げることで運用に歯止めをかけるというのは重要なことだ。
それを金田法務大臣は、「成案が出たら答弁する」「通告がないから答えられない」の二つを、誠実な答弁を一切することなく繰り返したのだ。

 

2. 最終日に立法事実が代わる法案を、採決してよいのか?

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金田大臣 立法事実と今おっしゃいましたが、それはあくまで条約であると考えております

 

山尾志桜里議員 今の話で行くと、この国内治安、テロ対策は、立法ということではなくなったということですか?

最終日に、よもや立法事実が変わり、法を司る法務委員会で、委員でもない人間が採決を呼びかけ、採決が起こる。

 

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温厚な逢坂誠二議員の「これが法治国家なのですか」という言葉は、とても重い。

 

私は強い憤りを覚えている。それは、法案が可決したからではない。このように無意味な国会を延々見せつけられたことだ。

立法府の存在意義とはなんなのだろうか?今の政府は国会を「面倒な待ち時間」くらいにしか考えていないのではないか?

 

国会は確かに制度上、多数派にあらゆる法案を通す権限を与えている。しかし、仮に可決されるにせよ、その過程で懸念点や穴を塞ぎ、よりよい法案にし、未来にその法案を残すということは、立法府の議員の共通の責務ではないのか?

国会の審議とは、未来に向けて積み上げてきた国民の財産であるはずだ。

 

3. 国会が無力化した理由

なぜこのような事態が起きたのか。それは、少なくない人は「国会は無駄だ」と考えているからではないかと考えている。

 

もう少し言うと、「選挙で多数を取っていればそれは国民の合意事項であるはずで、だから多数派の政府に反対するのは『多数の国民』への冒涜だ」という感覚があるのではないだろうか。
 

「野党議員が本質的でない質問ばかりするからだ。だからそんな時間は無駄だ」と。あるいは、与党議員の方が本質的な質疑をしている、というかもしれない。

しかし、基本的に与党議員による質問というのは、提出法案の追認行為に過ぎない。(先日の河野太郎議員の質疑など、例外はある)
それは、提出された法案が問題ないことを確認するプロセスである。それは、政府の無謬さを補強するものでしかない。

 

法案の問題点を指摘する行為そのものを、少なくない人が「無駄」「いちゃもん」「クレーム」と捉えているのではないか。
 

しかし、どのような法案にも瑕疵はあるのである。それを議論の中で塞ぎ、必要であれば修正するのが国会の機能である。

もし問題点の指摘が不要であるとすれば、それは行政府が完璧である時だ。しかし、そんなことはありえない。 

4. 完全ではない政府をどう監視するか

行政府は完璧ではない。法案には過ちが必ず含まれている。人は神ではない。だからこそ、その過ちを明らかにするチェック機能が必須なのだ。


与党も野党も人間だ。片方が完璧な存在で片方が価値のない無能である、ということはあり得ない。不完全な我々が選んだ、不完全な人間たちが寄り集まったのが国会なのだ。

我々は常に、政府が間違いを犯すことを前提にしなければならない。今回のような、プロセスを無視した法案審議を私は見たことがない。これは明らかに異様である。

 

国会は無駄、という肌感覚が存在するとすれば、それは立法府の敗北である。
野党の質問を「時間の無駄」と切り捨て、政府がどんな不誠実な答弁をしようと気にしなくなった先に見える未来は、けっして心地いいものではない。

 

5. 国民が国民であるために

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先日、このような記事を書いた。

すると、「少しでも謝ったらレッテルを貼られるから謝るわけがない」という趣旨のコメントがついた。

 

これが、ある意味現在の多数の感覚であるように思う。それは認めざるをえない。

しかし、本来、政治家が謝罪する、というのは野党に対して謝罪するのではなく、国民に対して謝罪するということだ。

 

仮に謝罪や訂正が政治家にとって不利益だからと言って、それを求めるのは国民の権利ではないか。なぜ一国民が、与党の代弁者となって立場を忖度する必要があるのか? 

 

「この発言を訂正したら野党が批判から黙っておくことに賛成」
「大臣を変えたら野党が批判するから変えるのに反対」
こんな意見に、私は全く賛同できない。

 

与党と野党の対立の前に、政府と国民の健全な緊張関係、行政府と立法府の健全な緊張関係こそが、よりよい国家を作るのではないか?

 

6. 与野党の対立を超えて

今、与党議員一人一人の顔が見えなくなっている。本来であれば、与野党の支持の垣根を超え、間違ったことには声を上げなくてはいけない。政治はゲームではない。そこには勝ち負けはない。

 

この審議は本当に適切なプロセスに則って行われたのか?

金田大臣は、本当に政府与党の法務行政のトップとしてふさわしい人間であったのか?

高い有罪率、長い拘束など、日本の司法の問題点が解消されないまま、警察の権限を拡大して良いのか?

国会のあり方は、これで正しいのだろうか?

 

 

与党議員の皆さんは、一人一人、胸を張ってイエスといえるのだろうか。

 

政治は生活であり、終わりなき日常である。それは絶え間ない改善のプロセスであり、常にリスクをはらむものだ。だからこそ、立法府は、党派を超えて一人の人間として、必要なときには声を上げなくてはならないのだ。

 

理想論だろうか?しかし、政治から理想が失われたら、何が残るのだろう?

大西健介議員は、「陳腐なCM」について何を語っていたか【衆院/厚生労働委員会】

 

高須克弥氏が、大西健介議員の厚生労働委員会での発言に関して、提訴をするという発言をされた。

今回は、大西健介議員が厚生労働委員会で何を語っていたのかを、実際の発言から追ってみたい。

 

大西議員自身はこう語っている

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問題にしたのは、名前と電話番号だけを連呼する派手なテレビCMを放映しているクリニックがフリーペーパーに掲載している広告は違反表示の見本市状態であることを実例を示して取り上げました。 

 

実際の審議内容

大西議員は、前段としてこのようなことを語っている。

高須氏の発言を引用しながら、「高須クリニックは違う」ということを大西議員は発言している。高須クリニック以外の美容クリニックが間違っている、というような趣旨ではないか。

 

それでは、問題の「陳腐」発言の前後はどうだろうか。

衆議院インターネット審議中継

大西健介議員 (美容業界は)普通の医療とは少し違う。すぐ治さなければいけないわけではなくて、客観的な医療の必要性ではなくて、患者の主観な意向に沿って施術が決まる。結果についても、綺麗になったかどうかは患者の主観で決まる。

また、美容医療を受けたことがある方は、普通は他人には余り言いませんから、口コミがあまり機能しない。自由診療であるので、金額が高くなる。こういう特徴がある。

 

だから、派手な広告であったり強引な勧誘による集客行為が行われる傾向があるのではないか。

一方では、医療分野においては原則広告が禁止になっていて、非常に限定的な事項しか広告することが認められていない。医療機関名や電話番号など。だからCMも陳腐なものが多い。

皆さんよくご存知のように、例えば「イエス○○」とクリニック名を連呼するだけのCM、また、若い女性がゴロゴロゴロゴロ、「0120」で始まる電話番号を言いながら転がっているものを見たことがあると思います。あるいは、テレビでおなじみのニューハーフタレントが音楽に合わせて踊りながら「○○美容外科」とずっと言い続けるというCMがよく見られる。

 

選挙でも、我々名前連呼をするわけですが、確かに知らない人の名前は書きませんから名前を連呼するわけですが、名前連呼だけでは、その候補者が何を考えているのかはわからないわけです。誰に投票していいのかわからない。

そういう意味で、こうしたクリニックの名前とか電話番号を連呼するだけのものは、患者が医療機関や治療方法を選択する上では、有用ではないと思うのですが。こういう広告は非常に陳腐だと思うのですが、大臣はいかがでしょうか 

 

塩崎厚生労働大臣 今取り上げていただいたものは、私も見たことがありますけど、医療法の広告規制の対象になっているわけで、医療機関の名称については、現行の広告規制で可能になっています。

現状の規制の範囲内で何を行うか、というのは個別の医療機関の判断ですが、それがどういう、矜持を持ってやっているかが出ることなのでので、法律的に触れていない限りは問題ないが、それとは違う価値観がありうるのではないか、とは思います

 

大西健介議員 私はバランスが悪いと思うんです、一方では電話番号やクリニック名を連呼するしか無い。ただ一方で、今回規制が入りますがホームページではフリーになっている。チラシとか雑誌で掲載されている広告がどうかというと、これはまた酷いもんなんですよ。

ある部分で非常に厳しくしているんですが、ある部分では歪みが生じていると。本来は、患者さんが治療方法とかクリニックを選択する上で有用なものであれば、私はテレビCMで流してもいいと思う

 

ただ、先ほど来言っているような、間違った誘引とか虚偽のとかはきちんと規制しなくてはいけない。

ある部分では非常に厳しいので、クリニック名だけ言っているけど、ある部分では滅茶苦茶やっているわけです。

*誤字脱字抜け漏れ等あるかと思います。実際の動画をご覧頂くことをおすすめします

 

質疑を見た所感

大西議員は、この文脈で言えば「医療法の規制が厳しすぎることによって、CMで流せる情報が極端に少なくなっている。そのため、患者が美容医療を選ぶための情報が得られていない」という文脈で質問されているように感じる。

つまり、「イエス!○○」というCMが陳腐だ、ということではなく、むしろそのような情報しか提供できない今の医療法がアンバランスではないか?という趣旨ではないか。

(その後の質疑で、フリーペーパーやチラシなどの実体を語られており、それらと比べてアンバランスではないか?というのが趣旨だ)

 

大西議員の質疑は、全体通して見れば、高須クリニックのCMに対する批判ではなく、むしろ医療法の厳しすぎる規制を批判しているのではないか。

少なくとも、(私の感覚では)これが特定のクリニックの名誉を毀損しているとは感じない。

大西議員の陳腐という言葉の使い方は適切ではなかったかもしれない。その意味で、高須氏が感情的に怒る気持は良く理解できる。

しかし、それと名誉を毀損しているかどうか、という点とは別の話である。

 

最後にはなるが、日本国憲法第五十一条に、免責特権がある。

これは、議員の発言の自由を最大限守るために憲法が直接定めたものだ。その点だけ、一言、付しておきたい。

第五十一条
両議院の議員は、議院で行つた演説、討論又は表決について、院外で責任を問はれない。

 

加計学園問題のまとめ。総理の友人に対する私的便宜?

*当初「法律」と記載してたものの、獣医学部の設置自体に関しては文科省の告示の改正であるので、「制度改正」と訂正した。

http://eic.obunsha.co.jp/resource/viewpoint-pdf/201702.pdf

 

加計学園問題は、戦後史に残る種類の汚職疑惑である。もちろん、金額や規模で言えばロッキードやリクルートの方が大きいかもしれない。

しかし、この問題は「一民間の学校法人のために、制度改正を行った」という、極めて異例のデュープロセスを取っている。

 

 

玉木議員の答弁 

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玉木議員 文科省から、「総理の意向と聞いている」と言われた文章を作成し、幹部の間で共有されたと聞いていますが、大臣いかがですか?

松野大臣 ニュースに関しては新聞で読みましたが、文章自体に関して具体的にどういった種類の文章かと分かれば確認したい。

 

玉木議員 文科省の関係者が認めた事実はありますか? 

松野大臣 その文章も含め確認していない。

玉木議員 手元にあるが、かなりのことが書かれている。

 

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発端は、朝日新聞のスクープだろう。

安倍晋三首相の知人が理事長を務める学校法人「加計(かけ)学園」(岡山市)が国家戦略特区に獣医学部を新設する計画について、文部科学省が、特区を担当する内閣府から「官邸の最高レベルが言っている」「総理のご意向だと聞いている」などと言われたとする記録を文書にしていたことがわかった。

 

この文章の真偽は分からない。しかし、かねてより述べてきた、明らかな事実が2つある。

  1. 安倍総理大臣と加計孝太郎理事長は、極めて近い関係にあること
  2. なぜ今治に獣医学部が必要で、特定の学校法人にのみ規制緩和するのか、政府が全く説明していないこと

である。

 

安倍総理大臣と加計孝太郎理事長

安倍総理と理事長の関係については今更述べるまでもないだろう。 

福島みずほ議員と安倍総理大臣の答弁

www.youtube.com

 

福島みずほ議員 加計学園の理事長がここで獣医学部をつくりたいと思っているかどうかをあなたが知っていたかどうか、総理が知っていたかどうかを聞いたわけです。二〇一六年、七回食事やゴルフをしています。その前、二〇一四年六月から二〇一六年十二月まで、二年半の中で十三回食事などをしています。
 長年の友人じゃないですか。極めて長年の友人です。だからお聞きをしているんです。政策がゆがめられているんじゃないかという質問です。


 獣医学部の新設を国家戦略特区が決めます。「かねてより準備を進め具体的提案を行ってきた自治体を中心に、具体的プロジェクトとして、実際の獣医学部の立ち上げを急ぐ必要があり、そのための規制改革、すなわち関係告示の改正を、直ちに行うべきである」という国家戦略特区の決定です。

 この具体的提案を行ってきた自治体というのは今治市ということでよろしいですか?

 

安倍総理大臣 これ、担当大臣を呼んでいただけますか。山本さんが担当大臣なんですよ。ですから、山本さんを呼んでいただかなければ、私、それお答えのしようがありませんよ。詳しく私存じ上げませんから。これ、所管外ですから、今、私お答えできませんよ。

 

福島みずほ君 でも、その加計学園の理事長と非常に懇意にしていて、十一月九日の日に今治市なんですよ。獣医学科を決める、そして構造改革特区にずっと愛媛県と今治市はこの獣医学科の選定、やってくれということを言っています。
 だから、二〇一〇年、日本の獣医学会はこれに反対の声明を出しています。それは、こういう中身です。
 日本獣医師会、二〇一〇年八月五日付け声明。
 特区提案による大学獣医学部の新設について批判をしています。高度専門職業養成の責を担う獣医学教育課程が特区に名を借りた地域おこしや特定の一法人による大学ビジネス拡大の手段と化すようなことがあってはならないというふうに言っているんですね。
 そして、ここの中身は、もう今治市、加計学園というふうに名前がもう既にずっと出続けているんですよ。
 総理、なぜ急転直下、国家戦略特区によって獣医学部新設、そしてこの大臣告示を規制緩和する、まさにそこで発言をされているからこそ聞いているんです。特区の議長じゃないかですか。

 

安倍総理大臣 福島さんね、特定の人物の名前を出して、あるいは学校の名前を出している以上、何か政治によってゆがめられたという確証がなければその人物に対して極めて失礼ですよ。の学校で学んでいる子供たちも傷つけることになるんですよ。

 まるで私が友人であるから、何かこの特区、あるいは様々な手続について、何か政治的な力を加えたかのごとくの今質問の仕方ですよね。それ、あなた責任取れるんですか、これ全く関係なかったら。

 

 まず、申し上げましょう。今、恐らく週刊誌を基に言っているかもしれませんが、例えばこれが、今治市がただで提供されたということについて、これおかしいだろうと、週刊誌ではありますが、二十年の間に二十五例あるんですよ。二十年の間に二十五例あって、これはただで土地が譲渡された例ですね。土地がただで貸与された例はこれ以外にもっとあるんですよ。

 

「かねてより準備を進め具体的提案を行ってきた自治体を中心に、具体的プロジェクトとして、実際の獣医学部の立ち上げを急ぐ必要があり、そのための規制改革、すなわち関係告示の改正を、直ちに行うべきである」

というのは、当然、加計学園を特定したとしか考えようがない。加計学園は、構造改革特区時代から何度も、今治市とともに申請をし、断られてきたからだ。

更に、わざわざその後「獣医学部の設置されていない地域」と特定すれば、当然これに応募できるのは加計学園以外に存在しないだろう。

(ちなみに、「山本さんを呼んで下さいよ」と言ってる割に、総理はやたらと詳しい。十分ご存知のようだ)

 

京都産業大学と加計学園

また、下記は、先日のエントリの引用であるが、京都産業大学が、加計学園よりも優れた提案をしていたのではないか?という指摘だ。

www.yomu-kokkai.com

 

www.youtube.com

京都産業大学獣医学部設置構想について

木内孝胤議員 存在しない地域に、ということで、空白区に限定しているわけであります。三校が提案しているところで、京都産業大学を締め出すようなルールの変更をしたのか、理由についてお聞かせいただければと思います
山本幸三大臣 いまご指摘された事項は、いずれも慎重な意見が根強い中で、いち早く規制緩和を実現するために定めていったものでありまして、そういった批判は当たらないと考えております。 
 
木内孝胤議員 京都産業大学は1989年に生物工学科を設立して、2006年に鳥インフルエンザセンターを設立、2010年に動物生命医療学科を設立しています。京都という地の利を活かして、iPS細胞との連携もしている。
今から設立を目指しますという学校と、これだけ出来上がっていて、設立場所も決まっている学校。パンデミック対策はとても大事なんです。ここまで不可解な形で京都産業大学が締め出されているというのは、全く説明責任を果たしていないと思っています。今治市における国家戦略特区に関しては、「一校だけ」「獣医学部がない場所」という極めて限定的な規制緩和を行った時点で、恣意的な運用がなされているのではないか?という疑念が生じる。

 

獣医学部にふさわしい学校は、加計学園の他にもあったのだ。その点で、なぜ四国に?今治に?という疑問に対して、納得の行く説明はまったくない。 

さらに、広島・今治は「観光・教育・創業などの国際交流・ビッグデータ活用特区」である。獣医学部とは何も関係がない。

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/tiiki/kokusentoc/dai18/shiryou2-1.pdf

そもそも、「一校だけ」、しかも四国という限られた地域に付与するとなれば、以前から何度も申請してきた加計学園くらいしか申請できないというのは予期できるだろう。

そうすると、これは特区というより特定の学校法人に対する利益供与でないか、とすら疑われる。

だからこそ、「なぜ京都産業大学ではなかったのか?」という疑問に対して、政府は明確に答える必要がある。 

加計学園問題は「究極の汚職」である

 戦後、様々な形で汚職事件があった。リクルート、ロッキードなど、大きな金額が動くものも存在した。

しかし、加計学園問題は、ある種これまでの事件と比べても異質で異様である。

 

それは、最初に述べたとおり、「民間の一企業のためだけに新しい制度を作り、特定の地域にのみ規制緩和を行った」というスキームだ。

法の抜け道を利用した…のではなく、完全に合法なスキームなのだ。

 

しかし、先に述べたとおり、今治市の国家戦略特区は、「一校のみ、四国のみ」という、実質的には加計学園のみを対象にした規制緩和である。 

「かねてより準備を進め具体的提案を行ってきた自治体を中心に、具体的プロジェクトとして、実際の獣医学部の立ち上げを急ぐ必要があり、そのための規制改革、すなわち関係告示の改正を、直ちに行うべきである」

という点は、明らかに、加計学園をイメージしているだろう。

 

国は、わざわざこのように、岩盤規制とまで呼ばれた規制を、総理の友人であるというだけで、特定の一企業に緩和したのだ。

更に、玉木議員の文書によれば「総理の強い意向」と、「何年何月までに実現」というタイムスケジュール付きで。

 

国家戦略特区とは一体何だったのだろうか。それは、単なる特定法人への利益供与ではなかったのか。国の説明を強く求めたい。