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なぜ安倍総理は、不信任案に嗤(わら)うのか

枝野幸男立憲民主党代表が、戦後の歴史上最も長い内閣不信任案の趣旨説明をするなか、安倍晋三総理は、茂木敏充経産相とともに談笑していた。

 

枝野代表の決議案については、書き起こししていただいている方がいるので参照されたい。

 

さて、安倍総理は一体何を笑っていたのだろうか。

 

「罵詈雑言?」

 

自民党の議員の方々には、枝野幸男代表の演説がどうやら罵詈雑言に近い汚い言葉に聞こえたようだ。

一旦、まず安倍総理の言うことが、過去から現在に至るまで、全て正しいと仮定したとしよう。それでも、枝野代表の指摘したいくつかの点については、政府自身が認めている不祥事だったはずだ。

 

少なくとも安倍総理、ないしその関係者が問題を認めている三つの論点

森友学園問題を巡る、財務省の文書改ざん問題 

 

加計学園問題を巡る、加計学園の虚偽報告と柳瀬総理補佐官の不適切答弁問題

 

働き方改革を巡る、立法事実であるデータの不備

 

なぜ安倍総理は笑えるのか?

さて、表題に戻る。なぜ安倍総理は笑えるのだろうか?

文書改ざん問題に関しては、安倍総理自身、「膿を出しきらなければいけない」と言い、加計学園問題を巡っては加計孝太郎氏が(一応)頭を下げ、厚生労働省のデータ改ざんに関しては、厚生労働大臣が「深くお詫びする」と言った。

この三つ問題の一つ一つをとっても民主主義にとっては国家的危機と言える問題で、例えばアメリカならば特別委員会を設置するレベルの問題だ。

 

嘘をつく。改ざんする。それはまだ理解できる。

しかしながら、政府自身が認めた問題に対して、なぜ総理はこれほどニヤニヤとし、自民党議員は「罵詈雑言」と述べるのか。一体、個々の問題でお詫びしていたという事実は、彼らの頭の中ではどうなっているのだろう。

不祥事を起こした企業が記者会見で批判され、企業のCEOがニヤニヤ笑い、その取り巻きが「罵詈雑言に近い言葉を聞かせられた」などとツイートしたことがあるのだろうか?

 

総理が言っていることが真実だと仮定しても良い。仮にそうだとしても、少なくとも自分たちが認めたことに関しては、神妙に頭を下げるのが、人間の振る舞いではないだろうか。

とすると、真実は極めてシンプルではないだろうか。つまり、公文書改ざんや不適切データは、安倍総理にとって問題ではないのだ。

なぜ問題ではないのか。つまりそれは、総理が実質的な指示者となっていたからに他ならないだろう。

 

膿を出し切る、と神妙に頭を下げながら、その問題点を指摘する不信任案を嗤い、野次を飛ばし、罵詈雑言だと述べる。

まさに、溶けた国会を象徴するような、内閣不信任案だった。

失われた20年のあとの破壊された5年 - 政治家が嘘をつくことが当たり前になってはいけない

一連の事件の中で、様々に驚くことはあったが、まるでスパイ映画のように非現実的な事件を覚えているだろうか。


財務省の職員は国交省まで出向いて、わざわざ元の文章を改ざんしてさし変えようとした。しかしそれを国交省の職員は改ざんされると予知してコピーを提出していた。

にわかには信じがたい事件である。まず断言しておきたいのは、安倍政権よりも前に何の報道もなされていない時に起きたとしたら、あるいは、日本以外の先進国でこのような自体が起きたとすれば、国会あるいは世間も蜂の巣をつついたような大騒ぎになっていたはずだ、ということだ。

ウォータゲート事件も真っ青である。

 

我々は既にありえないような事態に対して、慣れきってしまっている。これは由々しき問題だ。

安倍政権の5年間の政権運営における最大の問題点は、このように、多くの人が政治の不正に対して極限まで鈍感になってしまったことではないだろうか。

 

先日、加計学園の事務局長と称する人間が、愛媛県に赴いて謝罪を行い、またメディアに対して公開で記者会見を行った。

彼らの言い分によれば、加計学園の渡辺事務局長と称する人間は「ついうっかり首相と加計理事長が出会って「獣医学部はいいね」と言ったという嘘をついてしまった」ということだ。

ついうっかり真実を言うことはあっても、ついうっかり嘘を言う、というのは、もはや虚言癖の領域である。とすると、彼が述べている話が今現在真実であるかもよくわからない。

 

もう少し近いニュースを見ていこう。河村建夫氏は「首相が『予算委員会はお手柔らかにしてほしい』『集中審議は勘弁してほしい』と発言した」と記者団に発言したものの、その後「そういった発言はなかった」と撤回した。

また、柴山総裁特別補佐は「総理答弁が決算文書の改ざんのきっかけだった」と発言し、その撤回している。

どうやら、安倍総理は嘘つきに囲まれているようだ。加計孝太郎氏も嘘をついていた。財務省も嘘をついていた。河村建夫氏も柴山昌彦氏も嘘つきだった。柳瀬氏も嘘つきだった。嘘をついていなかった正直者は総理だけらしい。

もし総裁特別補佐と総理補佐官と腹心の友が嘘つきだったとすれば、私は人間不信になると思うが、総理はたいへん強い心をお持ちのようだ。

 

問題は、総理の主張していることは、部分的には辻褄が合っていると仮定しても、全体的には全くもって支離滅裂だということだ。

 

総理は、自らのバーベキューパーティーで出会った総理秘書官と加計理事長(彼の主張によれば腹心の友である)が、官邸で会っていたことも知らなかったし、卒業式で祝辞まで乗っていたにも関わらず、腹心の友が新しい学部を設立しようとしていた、ということも知らなかったし、総理は全くプロセスに介入する権限もなく、あずかり知らぬところで進んでいたということだ。

これほど物事を把握していない上に、周りに嘘ばかりつかれている総理大臣というのは、おそらく近代国家において初めてであろう。とにかく、安倍総理は自分が無能であるということを強く主張することによってこの場を切り抜けようとしている、ということである。

 

これらはすでに100回以上語られたり、議論されていることだ。

私が書いたことはすべて陳腐だ。おそらくここまで読んでくださった方も、その印象を受けたのではないだろうか。しかし、重ねていうが、もしこれが安倍政権以前に起きていたらどうなっていただろうか。

恐ろしいほど馬鹿げていて、恐ろしいほど理解不能なことが日々起きていて、我々はそれにすっかり慣れてしまったように見える。

例えば中国のことを考えてみよう、親しい中国の方々に政治の話を聞くと、彼らのほとんどは、自国が民主主義国家でないことに対して、消極的ながら受け入れている。

なにせ十三億人もいる国だから、デモクラシーを導入するのは難しいんだ、というように。そして習近平主席(夫妻)の人気も高い。たとえ、彼が民主的に選ばれたリーダーではないとしても。

 

我々は極めて高い順応性を持っている。一度既存の枠組みができてしまうと、それを壊すの用意ではない。

もし一度、政治家が嘘をつくのが当たり前の社会ができてしまえば、我々は極めて容易くその状況に馴染んでしまう。だから私は、たとえ陳腐だとしても、このような形で文にし続ける。

 

それがいかにおかしなことであるのか、それが間違ったことなのか。そしておそらく何度も言い続けるだろう。

安倍晋三という人間は、嘘をついている。

彼は今すぐ政治家を辞め、永久に公の舞台に出るべきではない。彼の痕跡は歴史から抹消されるべきである。そのようなことを言い続ける。

 

この破壊された5年に失われた政治理念を、今すぐに回復しなくてはいけない。

なぜ高度プロフェッショナル制度は(大きな抵抗もなく)成立したのか?

 高度プロフェッショナル制度が成立した。

この間の高度プロフェッショナル制度を巡る与党の国会運営は、これまで述べてきた通り大変ひどいものだった。

 

 何より、ヒアリングについての虚偽答弁が明らかになるなど、立法事実がもはや存在しない中で、このように大きな労働法制の変化を起こしたというのは、日本の国家としての在り方に関わる異常事態と言える。

さて、今回は国会の話からは少し離れる。なぜこのような大きな法案が、世論の大きな反対もなく可決したのか、この点について検証したい。

 

高度プロフェッショナル制度へのコメント

高度プロフェッショナル制度は、どのような要請に基づき検討されてきたのだろうか。

 

経団連:記者会見における榊原会長発言要旨 (2018-05-21)

高度プロフェッショナル制度は高い専門性を有する労働者に対する制度であり、かつてのホワイトカラー・エグゼンプションとはまったく別のものである。

経団連はホワイトカラー・エグゼンプションの対象を年収400万円以上としていたが、高度プロフェッショナル制度の年収要件は1075万円とされている。まったく違う制度であり、高度プロフェッショナル制度について年収要件の引き下げを求めていく考えはない。

例えば、経団連の榊原会長はこのように述べている。また財界に大きな影響力を持つ竹中平蔵業者もこのように述べている。

 

専門職で年収の高い人を労働時間規制から外す「高度プロフェッショナル制度(高プロ)」を「残業代ゼロ法案」と強く批判してきた連合が、条件付きで導入の容認に転じたことが組織内に波紋を広げている。

 

労働者の代表である連合の動きも決して迅速ではなかった。

連合は当初、高度プロフェッショナル制度に関して条件付きで容認しており、今回の採決の前の談話でも、高度プロフェッショナル制度よりも更に前に「同一労働同一賃金」について言及している。

 

むろん、時間外労働の規制は大変に大きな改革であり、これは歓迎すべきことだ。しかしながら、労組の強い企業では導入しづらく、また既存の正社員には適用しづらい高度プロフェッショナル制度をバーターにしたとすれば、連合の意図は透けて見える。

 

なぜ高度プロフェッショナル制度が財界にとって重要なのか

この高度プロフェッショナル制度の源流は2006年に考案された、ホワイトカラーエグゼンプションにさかのぼる。この時、年収400万円以上という大変対象範囲の広い政策として提案されたため大きな反発を生んだ。

 

つまり、高度プロフェッショナル制度とは、経団連にとって10年来の悲願であったといえる。では、なぜここまで経団連が高度プロフェッショナル制度に執着しているのか。

その理由の一つが、財界における残業代の扱いにある。財界において残業代は、諸悪の根源のように扱われている。

 

例えば、カルビーの松本会長などの発言にもその一端が見て取れる。

 日本の働き方において何が一番悪いかといえば、言うまでもなく残業ですよ。残業手当てという制度がある限り、問題は解消されません。

 働き方改革に関しては、あながち政府が言ってることも間違ってるとは思いません。裁量労働制にしたらいい。特にオフィスで働いている人たちは、「時間」ではなく「成果」で働いているのですから。

 

経団連にとって、残業代ゼロとは日本経済の最後の切り札であり、それを実現することで、本当に生産性が上がり人がより余暇を楽しめる……と考えている節すらある。

 

もちろんここには、いくつかの合理的な理由もある。

日本においてはマネジメントへの昇進を前提とした年功序列型の賃金体系が確立しており、本当の優秀なプロフェッショナルに対して適切な賃金が払われているとは言い難い。

高度プロフェッショナル制度のような別立ての賃金体系を用いることで、このような高度プロフェッショナルに高い賃金を払うことができるのも事実だ。

例えば優秀なプログラマーや研究者など、管理職ではないプレイヤーを雇用することも可能だろう。

 

しかしながら、当初経団連が400万円以上を対象にしていたことを踏まえれば、「小さく産んで大きく育てる」という経団連の目的は極めて明白ではないだろうか?

これは、労働者派遣法の歴史と重なる部分もある。

 

 

なぜ高度プロフェッショナル制度は成立したのか

では、なぜこの法案が、あえて言うならさしたる反対運動も起こらずに成立したのか。そこには深刻な世代間対立がある。

 

今の日本で、いわゆる大企業で働く20代30代などの現役世代と話していると、働かないおじさんへの憎悪といってもいいほど強い敵意がある。

いや、現役時代だけではなく、40代、50代になっても自分がバリバリ現役であると思っている人には「おっさん」批判をし続ける人は少なくない。

リベラルとか保守とか、思想に関係なく、とにかく彼らは働かない上の世代、いわゆる老害を強く憎んでいて、老害を追放すれば日本は良くなるとかなりピュアに信じている。

 

今の日本に共通するのは、稼がない、成果を出さないものは価値がない、という強い価値観である。

そう考えれば、今回の高度プロフェッショナル制度が、強い反対運動につながらなかったことも理解できるのではないだろうか。

経営者だけではない。残業代がなくなることは適切だとすら考えている労働者も多いのだ。

 

戦後、焼け野原からスタートした日本のアイデンティティは、高度経済成長以降一貫して「経済大国」であった。

バブル崩壊以降の長期低迷により、日本は経済大国としてのアイデンティティを喪失し、その隙間を縫って、昭和日本の否定が行われた。かつて世界から称賛されたはずの日本的経営、とりわけ年功序列、終身雇用は、とりわけ諸悪の根源として徹底して糾弾され続けた。

 

改革という言葉が横行した結果、非正規社員は急増し、一方で労働組合は正規社員の待遇を守ることに固執した結果、格差は拡大し、正規社員の持つ様々な労働者としての権利は既得権益とすら見なされるようになった。

バブル崩壊以降の日本は、奇妙なことに、昭和の日本を否定し続けることで、失ったはずの経済大国としてのアイデンティティを保ってきたのだ。

 

そこで生まれたのが、「稼がないものには価値がない」という価値観である。

働かないで残業代を稼いでいるやつがいたから、日本の改革は進まない。こういった空気は確実に今の日本の主流と言ってもいい。

極めて不幸なことに、そのような思考の人間ほど真面目に働くため、過労死のリスクが高い。

 

過去の日本の否定と、経済大国というすでに喪失したアイデンティティの間で、立法事実のないはずの高度プロフェッショナル制度は成立した。

そしてその先に待っているのは、戦後を否定しながら、失われし「経済大国」を引きずり続ける、悲しいノスタルジー国家ではないのだろうか。

「政府から目をそらす」という政治姿勢が日本の政治を劣化させる

以前「野党を批判するのは簡単だが、それよりも重要なことが起こっているのではないか?」という趣旨の記事を上げたところ、多くのコメントを頂いた。

ここに集まったコメントを

批判について

批判されたコメントの一部をご紹介したい。

野党を支持しろ?

「自分の頭で考えて野党支持者になれ」と言われても「民主主義ではよりマシな方を選択するしかない」と返事するのみ。野党批判=よりマシな方になれって構図が分からないのかなぁ。

有権者のことを見くびり過ぎなのでは。それぞれの価値観で与野党比較した上で投票しているでしょう。あなたは「野党に投票すべき」という価値観を持っているだけで。  

まず申し上げておきたいのだけど、別に私は野党に投票すべきとも野党支持者になれとも言っていない。

私は単に、「公文書の改ざんって先進国家としてありえないよね?」「データが間違っていたのに法案を通すってありえないよね?」ということと、「別にそれって野党を批判しても解決しないよね?」ということを書いているだけだ。

タイトルにも書いてあるとおり「野党を批判している間にこの国でとんでもないことが起きている」というのが投稿の趣旨だ。

なのに、なぜか「なぜ野党が支持されないのか」を延々とコメントしていただく方が多いのは不思議な事だ。

これだから左翼は?

最近の左翼のトレンド。自称中立や右左に偏ってない人を叩く。逆になんで左の思想なら全部正解で、右なら間違いとかいう0か100の思考が正しいと思ってるんだ?それぞれ、正しい時、間違ってる時があるの当たり前だろ

 左翼って多様性を認めっていうけど全部但し書き付きだよね「俺の思う多様性」。

しつこいようだが、私はただ「公文書の改ざんやデータがないままの立法はとんでもないことだ」と言っているだけだ。

公文書の改ざんを批判したら左翼になるなら、右翼は公文書を書き換えてもいいという思想なのだろうか、実に不思議である。

 

政府から目をそらし続けることについて

ところで、私はこれらの批判コメントを見ていて不思議に思ったことがある。誰も政府について言及していない。

政府支持の言論人の中には、「高度プロフェッショナル制度に賛成だ」とか「公文書の改ざんは財務省の問題だから政府の責任ではない」というような意見を堂々と言う方もいる。

コメントの多くはそうではない。

 

 

「公文書の改ざんやデータの書き換えは問題だ、野党の批判は簡単だが、そんなことをしている間に大変なことが起きているのではないか」

という批判に対して、

「左翼は〰」「野党を支持しろと言うけど〰」

という野党批判を繰り返しているだけだ。

 

先のエントリに対して、ありうる反論は下記の三つしかない。

  1. 「公文書の改ざんやデータの書き換えは大きな問題ではない。また高度プロフェッショナル制度にも賛成だ。だから政府を支持する」
  2. 「公文書の改ざんやデータの書き換えは問題だが、それは支持不支持を変えるほど大きな問題ではない」
  3. 「野党の批判は、政府批判よりも大事である」

実質的に、野党批判は二番に含まれるのかもしれない。

 

野党はこれくらいひどい。野党はこんなにもダメだ。そう何度も何度も繰り返せば、「やはり野党に投票したら日本はダメになる」と安心して、例えば高度プロフェッショナル制度や共謀罪、水道法に対して反対であったとしても、その個別の政策の賛否から目をそらすことが出来る。

そして、返す刀で「高度プロフェッショナル制度を可決させてしまう野党はだらしがない」「佐川氏から証拠を引き出せない野党は情けない」と野党批判をすることも出来る。一石二鳥だ。

つまり、政府から目をそらし、ただ野党の行動だけに焦点を当てることで、個別の政策の賛否を明らかにすることなく(あるいは個別政策に対して否定的であったとしても)、政府を支持し続けることが出来る。

 

別に自民党支持であれば自民党や政権を批判してはいけないわけではない。

私は、まっとうな自民党の支持者であればこそ、「公文書の改ざんは大変問題だ。改善策をきちんと考える必要がある」と、投票行動と切り離して批判するべきなのではないかと考えている。

「野党に政権を任せる訳にはいかない。しかし、今回の問題は由々しき問題でしっかりと解決すべきだ」という反応があってもいいはずなのだ。

 

残念ながら、このような支持層の姿勢こそが、安倍政権を根っこから腐らせてしまった最大の原因である、と考えざるを得ない。

Airbnb キャンセルを巡る議論 ー 日本の民泊に関する規制(民泊新法)は厳しいのか?

論点1 - 規制は厳しいのか

諸外国の規制を見る

(参考1)諸外国における規制等の事例について(国土交通省)

(参考2)各国の民泊の現状

 

例えば、ニューヨークの場合下記のようになる。見て分かる通り、結構厳しい。

宿泊業(ホテル等)を営む場合の規制等

  • 宿泊業を開始するに当たっては、市の登録を受ける必要がある。また、建設に当たっては、州、市当局から各種許認可、検査を受ける必要がある。
  • ホテルについて、構造に関して、居住、宿泊の部屋を仕切る壁に関する規定が、防火 に関して、出入口・警報器等の掲示や検知器、警報器等の設備に関する規定がそれぞ れ一般住宅の規定に加えて規定されている。
  • ニューヨーク市でホテルの建設が認められるのは、商業地域の大部分、工業地域の 一部のほか、住居地域で市の許可を得て認められるケースもある

民泊に関連した貸主に対する規制等

  • 2010年に州法が改正され、居住を目的とした共同住宅(クラスA)では、連続30日以上の居住が求められることとなり、3戸以上の共同住宅では居住者が不在の場合に、30日未満の短期滞在は違法となった。
  • 上記の共同住宅以外の建築物であっても、市条例により、許可なしに使用用途の変 更はできず、短期滞在は違法となる。 

要は、共同住宅では短期滞在が不可能、という形だ。

この他にも、

・90日以上貸し出す場合は転用許可が必要(ロンドン)

・貸出が年間60日まで(オランダ・アムステルダム)

・8ヶ月以上の居住実績が必要(フランス・パリ)

など、要は「住んでいない物件を借りて、Airbnb専用にするのはダメだけど、部屋が余っているなら時々貸し出してもいいよ」というような法体系になっているところが多い。

そもそもAirbnbって、そういうサービスだったのではないだろうか。適当にアパートを借りてAirbnb専用物件にする、というのはサービスの趣旨から外れているような気がする。

 

改正旅館業法・民泊新法に関する国会質疑を見る

民泊については、主に平成29年06月07日の衆議院厚生労働委員会で議論されていた。 

一つは、今、現に旅館業やホテル業をされている方々、こういう方々から見れば、特に、今回、民泊では、不在型と言われる、家主がいない、こういう民泊については、ビジネスじゃないか、同じように仕事をビジネスとしてやるのに、片や規制が緩くて、片や許可をとって厳しい規制になっている、不公平じゃないか、同じような規制にすべきじゃないか、こういうアプローチがある(後略)

 

今、民泊をされている、家主が居住型で一緒にいて、そこに泊めている、こういう方々からすれば、家主がいないところ、本当に単に貸しているところとは、例えば、現に今、我々は住んでいるわけですから、そこで生活をしているわけですから、安全の基準やさまざまな衛生基準というのは同じじゃ困る、今、我々の生活は現にできているんだ、こういう観点、この二つのアプローチがあって、この中でどういう規制をつくっていくかというのが大事だというふうに思っています。

 

伊佐進一衆院議員(公明党) 
 私ごとなんですけれども、私、今、議員宿舎に住んでおりませんで、議員宿舎より安い、本当の一部屋のワンルームマンションに住んでいるんです。一年ぐらい前からですか、両隣が多分、民泊になっているんです、私の部屋の両隣が。それで、やはりうるさいんですよね、夜な夜な。多分、民泊なんですよ、いろいろな国の人が入れかわり立ちかわり入っていますので。


 通報というお話がありました。私も、たまたまこういう制度とか世の中の動きに関心があって、私、民泊自体は決して否定的な立場ではないので、いい民泊、いい制度はどんどん広まってもいいと思っている側なんですが、ただ、違法民泊、あと、いろいろこれまで審議会とか国土交通委員会でも議論になった、やはり住宅地でこういう旅館的営業をやることの是非というのは、今もずっと議論として残っていると思うんですね。


 通報と言われたときに、私も別に通報はしたことはないですし、違法か合法かすら、両隣、どういう運営形態か全くわからないです。もし仮に違法だとわかっても、それは私は、こういう仕事で、正義感を持って通報するでしょうけれども、普通は通報しにくいだろうなと思うんですよ。

 

井坂信彦衆院議員(民進党)

このような声がある一方。この日は、民泊について話し合われると同時に、既存の旅館に対しての規制が過度に厳しいのではないかという議論もあった。

 当然、ダブルスタンダードになってはいけない。別に、民泊だから汚くていいとか、民泊だからこういう衛生回りを手を抜いていいということでは全くないというふうに思います。
 ただ一方で、今旅館、ホテルに課される衛生基準というのは、私もこの細かい、旅館業における衛生等管理要領というのをずっと隅々まで見せていただきましたけれども、もう大変細かいことまで規定をされております。これが本当に果たして旅館、ホテルを営むために必要な最低基準の衛生基準と言えるかどうか、私は大変疑問に思いますし、これをまた今から民泊に全部課すとなったら民泊は成り立たないですから、民泊はやはりもっと緩いものにせざるを得ないというふうに思うんですね。


 そうなってくると、私、大変疑問に思いますのは、では、これまでこれだけ細かく定めて守らせていた衛生基準というのは本当に必要な衛生基準だったのかという議論に当然なってくると思うんですよ。 

井坂信彦 衆院議員(民進党)

 せっかくこの旅館業法を改正して、罰則をつくって、無許可営業については立入検査ができるようにするわけですから、今現在あるほぼ旅館業と言えるような形態でやっている賃貸マンションとか、そういう今回の、先ほどの簡易宿所みたいなものについては、きちんと立ち入りして、実態をきちんと見て、やはり許可をとらせるべきものはとらせる(べき)

初鹿明博 衆院議員(民進党)

 防犯上の理由から、深夜に女性を一人で働かせることは避けるべきではないかというふうに思います。また、フロント勤務は、一人でやると、夜は、仮眠も休憩も十分にとれない、昼も、いつ来るかわからない来客や電話に対応するために昼食をとる暇もない、非常に過酷な勤務条件にある、労働条件にあるということが言われています。
 ホテル、旅館業界では、これまでも残業代の未払い訴訟というのも多く起きておりますし、今後、働き方改革、長時間労働規制を進めていく上で、土日とか休みも関係なく、二十四時間の対応が求められるホテル業界の特性に対応した対策というのが必要ではないかというふうに思います

大西健介 衆院議員(民進党) 

論点2 - 観光庁の通達は適切か?

 ニューヨークにおけるAirbnbの収益の3分の2は、何らかの法律に違反した取引である、と書かれている。

先の国交省の調査にも、ニューヨークについてこう記載されている。

2014年10 月、州の実態調査により、Airbnb に登録されている物件の 72%が違法なものであることが判明。取締強化の方針が打ち出された。

様々な経緯を踏まえると、Airbnb側の法規範の甘さが今回の対応を招いたのではないかという疑念は拭えない。

違法物件に対して売上を下げてでも対処する、というような積極的な対応を取っていないのではないか、という批判は当然あるだろう。

とはいえ、Airbnb側のリリースにあるように、観光庁との事前のすり合わせでは合意できていて、突然ちゃぶ台をひっくり返されたのかもしれないし、ここの実態はわからないが。 

まとめ

今回の民泊新法は、諸外国を鑑みても比較的軽度な規制といえる。

そのうえで、既存の旅館業法が古くなっていることは大西議員の指摘などにもあるので、既存の宿泊施設に対する不要な規制を取り払いつつ、一部地域を国家戦略特区などで規制緩和するというのはそれほど悪いプラントは思えない。

ニューヨークやサンフランシスコなど、あまりに民泊需要が高まったことで住宅事情が悪化した例も多い。

シェアリングエコノミーは決して悪ではないが、本来想定された運用である、「余った部屋を貸す」というような運用は、おそらく日本では難しいだろうし(部屋が余るケースがイメージできない)、そうなれば、当然部屋ごと貸すという形になる(不在型)。そうすると、当然ゲストの騒音なども管理するものがいなくなるわけで、隣人トラブルに発展することは必然だ。

当然、このような現状を考えれば、部屋貸しとは違う規制が必要になるし、管理者を明記することなどは必要なのではないか。

 

総じて考えれば、「これくらいの規制がクリアできないような物件なら、やはりリスティングすべきではないのではないか?」と思う。

労働者派遣法の歴史から学ぶ、高度プロフェッショナル制度の行く末

労働者派遣法の歴史

【労働者派遣法に関連する規制の変遷ポイント】

<時系列>
・1985年(昭和60年)労働者派遣法制定
・1986年(昭和61年)労働者派遣法施行
・1986年(昭和61年)労働者派遣事業と請負の区分に関する告示
・1996年(平成8年)改正労働者派遣法施行
・1999年(平成11年)改正労働者派遣法施行
・1999年(平成11年)派遣元事業主が講ずべき措置に関する指針
・1999年(平成11年)派遣先が講ずべき措置に関する指針
・2000年(平成12年)紹介予定派遣の許容
・2004年(平成16年)改正労働者派遣法施行
・2006年(平成18年)偽装請負に関する通達
・2007年(平成19年)改正労働者派遣法施行
・2007年(平成19年)請負ガイドライン
・2008年(平成20年)日雇派遣に関する省令、指針
・2009年(平成21年)派遣元・派遣先指針の改正
・2009年(平成21年)一般労働者派遣事業の許可基準の見直し
・2009年(平成21年)労働者派遣事業と請負の区分に関する疑義応答集
・2010年(平成22年)政令26業務に関する指導監督指示
・2012年(平成24年)改正労働者派遣法施行
・2012年(平成24年)請負に関する告示
・2013年(平成25年)労働者派遣事業と請負の区分に関する疑義応答集(第2集)
・2015年(平成27年)改正労働者派遣法施行
・2015年(平成27年)労働者の職務に応じた待遇の確保等のための施策の推進に関する法律(同一労働同一賃金推進法)成立
・2015年(平成27年)労働契約申込みみなし制度開始

 

(参考)http://www.bizlaw.jp/businessissues_koyou_03_01/

国会で労働者派遣法はどのように語られてきたか

労働者派遣法制定まで

 本法案は、幾千万の我が国労働者の基本的人権や労働条件にかかわる重大な法案であります。それは、戦後営々として労働者が築き上げてきた民主的労働法制を根底からゆがめ、資本の飽くなき合理化と利潤追求の前に無権利状態の労働者を大量につくり出すものであります。

これが全労働者の労働条件の劣悪化を招くことは必至であります。

ところが、これほど重要な法案であるにもかかわらず、我が党の本会議趣旨説明要求を封殺した上、本院社会労働委員会における審議時間はわずか十三時間、まだまだ重要問題が解明されていないにもかかわらず、我が党以外の合意で審議が打ち切られたことは、国権の最高機関である国会の責任をみずから放棄するものであり、怒りを禁じることができません。私は、まずこの点について厳しく指摘するものであります。

 

昭和60年06月07日参議院本会議

日本共産党 安武洋子議員

これは、高度プロフェッショナル制度への反対討論ではない。の、労働者派遣法への反対討論である。当時、共産党以外の野党は一定程度この法案に対して理解を示していた。

 対象業務は、当初の四業種から十四業務に増加しておりますけれども、本法案では、特に限定する規定はなく、今後、政府の定める政令によって広く対象業務とされる可能性が残されているのであります。対象業務は法律上明確にし、最小限に限定すべきであります。我が党は、技術革新に対応するソフトウェア業務に限定すべきことを提案してきたところであります。

 

昭和60年06月07日参議院本会議

日本社会党 高杉廸忠議員

労働組合の中では、 労働者派遣法に対して好意的な意見が多かった。これは、すでに法案成立前に「偽装請負」という形で、労働者派遣事業が存在したことに起因する。

つまり、労働者派遣法は、少なくとも労使合意の上で、労働者保護のための法律として始まった。

また、この時は、13業種のみの解禁であり、ネガティブリスト(特定の業種のみの解禁)だった。

しかし、共産党などを含め、すでにこのときから懸念する声はあったようだ。

 それから労働組合の問題でございますが、我々労働者派遣法案というものを長い間ぜひ成立をさせてほしいということでやってまいりました。ただ、労働組合間の中で、労働者派遣法案につきましては反対する労働組合もございます。

 

昭和60年02月27日 参議院 国民生活・経済に関する調査特別委員会

全日本電機機器労働組合連合会(電機労連)政策企画局長 阿島征夫氏

 私たちの法律事務所には数十人の法律家がおります。たくさんの派遣労働者の諸君が相談に来られます。その中で私たちが知ったことは、派遣労働者の身分が極めて不安定であり、いつやめさせられるかわからない。中間搾取がひどく、賃金が安過ぎる。コンピューター関係などでは特に超過密労働になっており、一番極端な場合には月間三百三十四時間という残業、百時間を超える者はざらだという状態になっている。

 

このままだと三十代半ばでスクラップ化するんじゃないかという危険を彼らは訴えているわけです。もし労働者派遣法がその目的のとおり派遣労働者を保護するというのならば、こういう実態を私は抜本的に解決するものでなければならないんじゃないかというふうに思うわけです。

 

昭和60年05月29日 衆議院 社会労働委員会

参考人 坂本修弁護士

対象業務の拡大(平成八年)、原則自由化(平成十一年)

それ以降、労働者派遣は、順次拡大されていく。

八五年に政府は、この労働者供給事業を一部合法化するということで、労働者派遣事業を制度化してしまったわけです。いわば違法状態を放置してそれを追認する、こういうのが当時の労働立法の態度であったというふうに思います。

 

 労働基準監督、派遣労働者を特別に対象にした労働基準監督が行われたという報告を私は知りません。労働基準監督官の知り合いの人に聞きますと、もし派遣労働者について監督をすれば労働基準法違反がもう山のように出てくる、そうすると通常の監督業務ができない、だからいわば手を触れないでおくんだというふうなことを聞いているわけです。

 

平成11年05月11日 衆議院労働委員会

脇田滋参考人(龍谷大学法学部教授) 

しかし、連合の動きは必ずしも明確ではなく、派遣労働者の労組加入が少ないことからも、結果的には政府を追認する形になっていった。 

 結論といたしましては、そうしたいろいろのニーズにこたえる必要はあるけれども、今回の改正問題につきましては最低限の基準を決めるということで、労使の力関係が現在明らかに大きな差がある以上は、弱い立場の労働者保護という政策の視点でこれを制定しなければならないということを考えているということであります。

 

平成11年05月11日 衆議院労働委員会

松浦清春参考人(連合 総合労働局長) 

 

また、当時は「派遣」や「非正規」などに対して、現在ほどネガティブなイメージがなかったほか、失業率の上昇などの地合いも重なり、今ほど大規模な反対運動がなかったようだ。


 三月の失業率が御存じのように四・八%となりまして、過去最高を更新しておりますが、私は、我が国がこのまま高失業社会に向かうことは、経済的にも、また社会的にも、将来大きなコストを負担することにつながることになると考えておりますし、これを回避するために労働力需給調整機能の早急な整備が不可欠であると考えております。

平成11年05月11日 衆議院労働委員会

 柳本卓治衆院議員(自由民主党)

日雇い派遣の禁止など事業規制の強化(平成24年)・派遣事業は許可制に、原則上限三年へ(平成27年)

その後、非正規の増加などに従って、民主党政権・自民党政権の元で一定の規制が強化され、いわゆる三年ルールなどが設定された。

三年ルールが想定通り正規への転換になりうるか注目されたものの、雇い止めなどが大規模に起こるなど社会問題化している。

 

派遣法から考える高度プロフェッショナル制度

労働者派遣法は、当初すでに横行していた人貸しビジネスの労働者保護という名目で始まった。

それは、終身雇用の崩壊などでより流動的な雇用を求める経済界の要求、自由を求めた労働者の幻想、派遣労働者を軽視した労働界の弱腰によるものだ。

また、その規制は小泉政権下などで段階的に緩和され、非正規率の上昇と雇用の不安定化をもたらした。

 

高度プロフェッショナル制度は、すでに産業界から緩和が求められており、段階的に今後年収要件などの緩和の声が上がるのは間違いないだろう。

一つわかることがある。一度作られた法案というものは、いずれにせよ、取り消すことが極めて難しいということだ。

 

賽は投げられた。賽が地面に落ちてしまうかどうか、国会は今そのような瀬戸際にあるということを理解していただきたい。

「野党は批判ばかり」「野党は経済を語らない」と言っている間に、書類は隠蔽されデータは改ざんされた ー 新潟県知事選から見える日本の風景

新潟県知事選挙と日本

知事選挙は、日本の縮図である。元霞が関の官僚が自民党の推薦で出馬し、中央とのパイプを語って当選し、東京からおこぼれをもらうために腐心する。

自民党と官僚と地方の財界の強固なピラミッドは極めて効率的に機能しているわけだ。

新潟県知事選でも、経産官僚出身である泉田県政で副知事を務めた、国土交通省出身の花角氏が当選した。

同じ北陸の石川県など、1963年からこの方、知事は全員内務省・自治省出身である(まあ、二人しかいないのだが)。

 

新潟県知事選で与党系の候補が勝利した途端、ネット上には野党への揶揄で溢れた。

いわく、野党は批判ばかりだ、野党は経済政策を語らない、野党はプロモーションが下手だ。

(野党は経済政策を語れ、とは「物価上昇率2%を達成する、達成しなければ副総裁が辞める」といえ、という意味だろうか、という話はおいておくとして)

 

別にそれらが間違っているとは言わない。今日の論点はそこではない。

「パーキンソンの凡俗法則」をご存知だろうか。

原子炉の建設計画は、あまりにも巨大な費用が必要で、あまりにも複雑であるため一般人には理解できない。このため一般人は、話し合っている人々は理解しているのだろうと思いこみ口を挟まない。強固な意見を持っている人が、情報が不十分だと思われないように一般人を押さえ込むことすらある。このため審議は「粛々と」進むことになる。

この一方で、自転車置き場について話し合うときは、屋根の素材をアルミ製にするかアスベスト製にするかトタン製にするかなどの些細な話題の議論が中心となり、そもそも自転車置き場を作ること自体が良いアイデアなのかといった本質的な議論は起こらない。次に委員会の議題がコーヒーの購入といったより身近なものになった場合は、その議論はさらに白熱し、時間を最も無駄に消費する。

自転車置き場については誰もが理解している(もしくは理解していると考えている)ため、自転車置き場の設置については終わりのない議論が生じることになる。関係者の誰もが自分のアイデアを加えることによって自分の存在を誇示したがるのである。

 

パーキンソンの凡俗法則 - Wikipedia

野党批判は極めてお手軽で簡単で、白熱する。こうすれば野党はもっと支持される、というような議論は簡単だからだ。

一方、自民党と知事と地元財界の鉄のトライアングルについては語られない。語ったところで無駄だからだ。

ということで、「野党はこうすれば勝つ」というような議論は白熱し、誰もが一家言を語りたがる。 

自民党と戦後日本

自民党という政党はあまりに深く日本の統治システムに入り込んでいる。自民党は、戦後日本そのものであると行ってもいい。

二回三回、自民党以外の政党が政権の座につくことは無いとは言わないが、この先も、永久に、永遠に、自民党議員の子孫たちは日本という国が同じ政体で存在し続ける限り、権力の座に座り続けるだろう。

 

我々が直視しなければならないのは、政権政党の二世、三世、四世たちが自分たちの権力と利権を守るためなら平気で不正に目をつぶるというこの現実だ。

彼らは、自分たちが政治家で居続けるためなら、不正にも平気で沈黙することが出来るのだ。

二世三世四世の、更に子孫である三世四世五世も政治家になり、同じように沈黙するのだろう。それがこの国そのものの形である。

 

この一年間、政府・自民党は一体何をしただろう。公文書を改ざんし、破棄し、国会を破壊した。全く立法事実がない中で、労働法制を根本から破壊する高度プロフェッショナル制度を可決しようとしている。

この一年間、では野党は何をしただろうか。データの改竄を発見し、裁量労働制の法案提出を断念させ、森友・加計問題では税金の不適正な仕様を発見した。

お手軽な政治的議論をやめる時が来た

野党は経済を語らない、のか?

「野党は経済を語らない」という「よく言われている」批判がある。今回の新潟県知事選挙でも、「安倍総理の批判ばかり」という批判があった。

しかし、例えば立憲民主党の公式サイトには、経済産業政策が書かれている。

一人ひとりの持てる力が発揮され、幸福が実感できる経済を実現します。
自由貿易体制の発展にリーダーシップを発揮し、多国間・二国間での経済連携については、日本の利益の最大化を図ります。
国際的な人的・物的交流が円滑に行われるよう、経済社会活動の基礎となる法整備を進めます。
人々の生活を豊かにする新産業や起業倍増に向けた人材育成を進めます。
暮らしを支え、地域のけん引役である中堅・中小企業、小規模事業者が、意欲を持って努力と創意工夫を重ね、個性や可能性を存分に伸ばすことができる経済社会を実現します。
基礎研究を強化し、イノベーション(技術革新)につながる環境を整備します。 

枝野幸男代表の民進党代表選の出馬時にも、第一にこのような政策を掲げている。

1.支えあう経済
多様性を認め合い、互いに支え合う経済を実現します。国民の所得を削り、中流層を激減させたままでは、本当の意味で活力ある経済は再生しません。まずはこれからの日本にとって重要な、保育・教育、医療・介護といった分野の賃金を底上げし、雇用を拡大します。非正規雇用を減らし、希望すれば正社員になる道を広げます。過労死を招く長時間労働を厳しく規制します。格差を是正し、公正な分配によって、力強い経済成長の循環を作り出します。

 

枝野幸男 みんなと進むリーダーへ|2017 民進党代表選挙特設ページ

民主党系政党の一貫したエコノミクスポリシーは、「人への投資」だろう。これは、09年政権交代以降、民主党、民進党、立憲民主党・国民民主党と分かれても継続している。

概ね、労働規制と再分配政策、実質賃金の引き上げを中心としている。

 

国民民主党の綱領にも、こうある。

一 私たちは、「人への投資」を重視し、公正な再分配によって理不尽な格差をなくし、持続可能な経済を確立します。
一 私たちは、少子高齢化や過疎化を克服し、安心の社会保障を実現します。
一 私たちは、子どもと若者、孤立して生きざるを得ない人々、社会的マイノリティ、障がいのある人々、非正規雇用で働く人々等、声の届きにくい人々に寄り添います。
一 私たちは、地域主権改革を進め、豊かさが実感できる、自立した活力ある地方にします。
一 私たちは、政官財のしがらみをなくし、政治と行財政の改革を誠実に実行します。
一 私たちは、立憲主義と国民主権・基本的人権・平和主義を断固として守り、国民と共に未来志向の憲法を構想します。
一 私たちは、専守防衛を堅持し、現実的な安全保障を築きます。
一 私たちは、開かれた国益と広範な人間の安全保障、恒久平和と核兵器廃絶をめざします。 

通常、詳細な政策というのは、選挙の際に作られるマニフェストによって示されるもので、選挙前であれば、この程度の粒度であるのはやむを得ない。

問題なのは、前回わけのわからない理由で前原代表が民進党を解散した結果、野党のマニフェストが中折れになってしまったことだ。

いずれにせよ、現段階において「野党は経済政策を語らない」と述べるならば、このようにすでに示されている経済産業政策の指針を把握した上で、どのような点が「語られていない」のかを示す必要があるのではないか。

(例えば、金融政策について明確な方針が示されていない、という批判は十分に有り得る思う。しかし金融政策は経済政策とイコールではない)

 

むしろ、旧民主党以来、その政策的な価値は変わっていないのではないだろうか。子どもの貧困や少子化などの課題は、この十年、手付かずのままである。

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いま国会で起きていること

前回の記事で記載したとおり、すでに政府与党は、立法事実が無いままに法案を取りまとめ、データが間違っていたことが分かってもそのまま通すという極めて異常な状態となっている。

森友学園や加計学園問題では、書類が改ざんされ隠されるという近代国家とはとても呼べない狂気の状況になっている。

野党批判はたしかに楽だ。はっきり言えば、頭を使わなくて済む。アクロバティックな理論で政府を擁護する保守系の方々のほうが、よほど頭を使って理論を構築している。

 

 

(もしあなたが安倍政権の熱心な支持者ではないなら)お手軽に、頭を使わずに、野党を批判するのはもういい加減にやめるべきではないか。

風車に突進するドンキホーテを嗤うことは簡単だ。誰だって出来る。

しかし、もしその風車が、今にも崩壊しそうな危険な状態であったとしたらどうだろうか?風車を止めて、解体すべきなのだ。

今、国会で何が起きているのか? ― 与党議員と政府の発言から考えるガバナンスの崩壊

厳正な検査に支障を及ぼすため、過程の公表は差し控える

腰山謙介・会計検査院事務総局次長 衆議院財政金融委員会

 森友学園の問題に関する会計検査院の報告書に、検査院が試算した値引き額の記載を回避しようと財務、国土交通両省が協議した疑いがあるとの指摘について、検査院の腰山謙介事務総局次長は二十九日午前の衆院財務金融委員会で「一般論として、判断の公正を確保するため、検査対象から意見を聴取する」と述べ、検査院と両省との事前のやりとりを否定しなかった。

 政府から独立した機関が、事前に財務省と協議していた可能性を否定していない。

 

首相動静を見る限りお目にかかっていない

(安倍晋三総理大臣 衆議院予算委員会)

 

一国の総理が、自身の過去の行動の根拠を新聞の首相動静に求めるという異常事態。

 

これは委員がつくられたストーリーだと思う

(安倍晋三総理 衆議院予算委員会)

福山氏は、それ以前の時期に首相が認識していたことをうかがわせる、官邸幹部らの発言が記された複数の文書を示し、「みんな残っている文書だ。全く反証になっていない」と言うと、首相は「委員がつくられたストーリーなんだろう」と答弁。議場は騒然となり、審議は一時中断した。

 

膿を出すと言ったのは公文書を出すこと

(安倍晋三総理 衆議院予算委員会)

 公文書が膿だったという衝撃の事実

 

どの組織だって改ざんはありうる話

(麻生太郎副総理 ぶら下がり取材にて)

この日の会見で麻生氏は「大蔵省(財務省)に限らず、会社だってどこだって、ああいうことをやろうと思えば個人の問題だから、組織としてどうのこうのという意識で見ていない」と話し、組織ぐるみの不祥事を否定した。

 

改ざんのような悪質なものではない

(麻生太郎副総理 衆議院財政金融委員会)

森友学園をめぐる財務省の決裁文書の改ざんで、麻生副総理兼財務大臣は29日の衆議院の財務金融委員会で「書き換えられた文書の内容を見るかぎり、黒を白にしたとかいう悪質なものではないのではないか」と述べました。

 

データの不備は高プロに関係ない

(田村憲久元厚労大臣 取材に答えて)

 

与党筆頭理事を務める田村憲久元厚労相(自民)は記者団に「データの不備は高プロに関係ない」と説明。法案に定めた残業時間の上限規制を念頭に「一刻も早く長時間労働を是正しないといけない」と述べた。

  

野党から吊るし上げられたから厚労省が架空のデータを作成した

(橋本岳【前厚労副大臣】 ブログにて)

厚労省の教訓は、いくら要求されても、無い数字を無理に作って提出するようなことはしてはならない、ということでしょう。

 それは教訓ではなく、再発防止策を講じるべき問題なのでは。

 

努力はしたがどうしても四月二十八日のデータだけは発見できなかった

(大田財務省理財局長 衆議院財政金融委員会)

 

まとめ

日本がやばい。

(あとで追記するかもしれません)

加計学園問題の焼け跡に残るもの ― 「嘘をつくとそれを守るための嘘で、更に大変なことになる」というシンプルな教訓

 学校法人「加計(かけ)学園」は26日、愛媛県今治市への獣医学部新設をめぐり、2015年2月に加計孝太郎理事長が安倍晋三首相と面会したと記した県の文書についてコメントを発表した。当時の担当者に記憶の範囲で確認したとし、「実際にはなかった総理と理事長の面会を引き合いに出し、県と市に誤った情報を与えてしまったように思うとの事でした」としている。 

 もともとメモは外に出るものではない。学園側もまさか外に出るとは思ってもいなかったでしょうし、書かれたことを追及されるとも思わなかっただろう。学園側は停滞していた獣医学部設置の動きを進めるための材料に使ったのだろうが、大きな話になってびっくりしたのではないか。

 学園側は申し訳ないことをしたということを、新文書がオープンにされた時点でいうべきだった。コメントを出すタイミングが少しずれているように感じる。

 ただ、今回の件は学園側の情報発信が間違っていただけで、受信した愛媛県が攻められる筋合いは何もない。それより、新文書を材料にがんがんわめいた野党は、振り上げた拳を下ろしにくいだろう。

 「嘘をついた」ことを「情報発信が間違っていた」とするのはなかなか独特の表現だ。

焦点は、総理か加計学園、どちらが嘘つきなのかに絞られた

再三述べている通り、総理大臣の置かれた状況は支離滅裂であり意味不明である。合理的な説明がない限りは嘘をついていると判断せざるを得ない。

今回の件で、まずなにより、愛媛県が嘘をついていないことは明らかになった。ということは、加計学園か総理のどちらかが嘘つきということになる。

事実上、この時点で加計学園問題は政治的に決着した。総理が嘘をついているにせよ、加計学園が嘘をついていたにせよ、認可が不適切であったという結論は変わらない。

本来、加計学園が嘘をついているとした場合、総理大臣は激高して徹底して調査するべきだろうが、安倍総理はやはり友達思いなのだろうか、

総理の嘘と国家の崩壊

この問題は簡単にいえば「総理大臣が嘘をついてしまったがために、それをみんなで必死になって隠しているうちに収拾がつかなくなってしまった」ということになる。

総理が「1月20日以前は知らなかった」と言ってしまったがために、今回の加計学園のコメントについても、「担当者の記憶違いでそういう発言をしてしまったが、総理に確認したところそういうことはないということだったので問題ない」という発言ができなくなっている。

つまり、面会していた柳瀬秘書官も全くこの点について確認しなかったということになってしまうわけだ。

また、このような発言が加計学園から出てくることは愛媛県の発言や文書の信憑性を裏付けることになり、「総理案件」という言葉が実際に発言されたことの一定の裏付けとなっている。

はじめのうちの嘘は、まだしも理屈になっていたが、すでに政府の論理は誰一人として収拾がつかない状態になっている。

加計学園問題は、結果的には自民党の多くの議員を傷つね、党にも回復不可能なダメージを与えた。

仮に今国会が閉幕しようとも、もはやこのイシューは闇に葬られるには大きくなりすぎてしまった。

自民党議員の中でも、撤退を見据え曖昧な答弁をする議員はいるが、真実を捻じ曲げ総理をかばってくれた忠実な自民党議員の威信をボロボロにして、最後は誰かが責任を取ることになる。

安倍総理と自民党にとって自らを傷つけない最良の選択肢は、今すぐ総理がなにか別の理由をつけて辞任をして、数年間は公の場に姿を表さないことだろう。

しかしながら、今辞任してしまえば後任者、とりわけ有力候補の石破氏や岸田氏は、本件に対してより現実的な、つまり加計氏の証人喚問や真相究明のための委員会設置などの対応を取る可能性がある。

そのようなことを考えれば、安倍総理は今やめるわけには行かない。しかし、総理が辞めない以上自民党議員も、このデス・レースに参加せざるを得なくなる。

危機管理能力の無さを露呈した自民党と安倍政権

この問題を見ていると、旧民主党が起こしたメール事件を思い出す。

堀江メール問題 - Wikipedia

それは、(一部の保守系言論人が言うように)愛媛文書が捏造だからということではなく、執行部が代表の歯止めたり得なかった結果、大きく党が傷ついたという点だ。

参院選に敗北した後に辞任を否定した第一次安倍政権と、希望の党が衆院選で大敗した後に代表を辞任しなかった前原誠司代表、どこか共通する点がないだろうか。つまり、危機管理能力に欠け、損切りができない、という点だ。

 

安倍総理は政治的な権力を失った時点で、極めて難しい立場に立たされるだろう。これほどまでに嘘が積み上がってしまった後に、その真相が明らかになれば。

そして、残念ながら、総理のご友人である加計孝太郎氏と、加計学園の立場も極めて難しくなるだろう。

しかしそれは仕方ない。適切なタイミングで身を引かず、掛け金を吊り上げたのは、総理自身なのだから。

我々がこの一年に及ぶ政治的茶番から学ぶことができたのは、嘘をつくということは国家のガバナンスを致命的に崩壊させる、という古典的教訓だったと言える。

自民党はデータと事実を捨て、近代国家を放棄する覚悟があるか ー 高度プロフェッショナル制度の委員会採決を巡って

この記事はかなり長い。それを断った上で、憲政史上最悪とも言える、厚生労働委員会の採決に至るまでの経緯を説明したい。

この経緯は実況していただいた、法政大学の上西教授のツイートを引用している。

 

さて、5月25日、すでに不適切なデータが見つかっていた高度プロフェッショナル制度を審議する衆議院・厚生労働委員会において、再び不備が見つかった。

採決を予定していた当日の朝だ。

厚生労働省は25日の衆院厚労委員会理事会で、ミスが相次いで発覚した労働時間調査について、野党側の指摘で新たに6事業所で二重集計するミスがあったと報告した。

そのような中、厚生労働委員会が開かれた。

 

厚生労働委員会(立憲民主党・西村智奈美)

午前中、まず維新の議員が質問をした後、共産党の高橋議員が限られた時間の中に質問をした。その後、西村議員。

 こうして、加藤大臣に対する不信任が出された。

 

厚労大臣不信任に関する趣旨説明(立憲民主党・西村智奈美)

西村議員が、再び本会議にたち、不信任の理由を説明した。

 不信任理由

 過労死遺族の声

捏造が何故起きたのか?

この答弁は二時間にもおよび、途中、西村議員が過労死遺族の声を紹介して声を詰まらせる場面もあった。

不信任は反対多数で否決され、議論は再び委員会に引き戻された。

 

驚天動地の委員会採決(国民民主党・岡本充功)

www.youtube.com

そして、議論の場は委員会に戻る。ここでも何人かの議員が質問に立ったが、岡本充功議員の質問の最後にそれは起こった。

これはぜひ、雰囲気を理解していただくためには、実際に動画を見ていただきたいところである。

(「紙を出せ」、という野次)

 (「整理しなきゃいけないんじゃないか」という野次) 

驚天動地の採決へ

 これで採決である。

 

データは間違っていた。朝にも分かっていたことだ。そして、そのデータがどのように間違っていたか、の書類が出ていない。その中で採決が行われる。誰か理解が出来るだろうか?出来るならやってみて欲しい。

私も国会を見て長い。けど、はっきり言ってぶっちぎりで最悪の採決だ。これより酷い採決というのはちょっと想像できない。

持ち時間が来ているから、という理由で「質疑は終了しました」と宣言する委員長もひどいし、間違っていた資料を提出していたのに、修正した資料を出さずに間違いを口頭で答える、というのも言葉を失う話だ。

また、自民党・田村憲久理事の「データの不備は高プロに関係ない」という発言は、語るに落ちる部分がある。データがどうであれ法案を通すということだ。データをもとにした意思決定ができないなら、どんなデータも紙くずに過ぎない。占星術か卜占で全部決めればいい。

事実に基づく意思決定は、近代の最低条件

近代とはどういう時代であったか。それは、ルールの確立と科学の浸透の時代であった。呪術的な権力を保持していた王政が打倒され、市民革命が起きた。

近世に始まった科学が更に浸透し、迷信や宗教的にタブーとされていたことが次々と覆り、明るい光が当たった時代だ。

地球は太陽の周りを回り、人間は猿から進化し、ハンセン病は前世の因縁ではなくマクロファージによるものだとわかった。

科学は、全てを事実に基づいて判断する。それがどれほど今までの見解と違っていても、実験によって証明されなければ科学ではない。

すなわち、近代的思考とは科学的思考であり、科学的思考とは、事実を直視する思考なのだ。

近代国家とは、まさに事実に基づいて政策を意思決定することによって成り立っていた国家だったはずだ。

 

今日の委員会採決において政府が行ったことは、事実に基づいて意思決定をする、という近代国家の最低条件を満たしていなかった。すでにある結論に向け、事実を捻じ曲げたのだ。

これほどまでにデータやファクトが軽んじられたことは、立法府において、私の記憶する限り一度もない。

我々はよく知っている。戦艦を沈めたはずの爆撃機が、実は小舟一つ沈めていなかったことを。そして、その結果日本がどのような煉獄に突き進んでいったか、ということを。

事実を直視できない国家がたどる末路は常に哀れなものだ。だからこそ、近代国家はまじない師の言葉ではなく、常に事実に基づき物事を合理的に決めてきたのだ。

近代を捨てる覚悟を問う

高度プロフェッショナル制度の法案自体の酷さは言うまでもない。

しかし、その採決に至る経緯は、我々が近代国家として守ってきたはずの、最低条件たるデュープロセスをずたずたに引き裂くものだった。 

与党の一人一人の議員は、今まさに、日本が近代国家としての最低条件を、自ら投げ捨てていることに気がついているのだろうか。

大正デモクラシーのあとに何が起こったのか。それを我々はよく知っている。

 

与党と維新の議員の一人ひとりに対して、近代を放棄する覚悟があるのか、問いかけたい。

我々は今、歴史の際(きわ)に立っている。