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蓮舫代表に求められた「ルーツを捨てろ」という声

蓮舫氏の国籍について、再び「問題」が再燃している。本日蓮舫氏が会見を行い、近く記者会見を開くことを明らかにした。

私は、この問題は蓮舫氏に対する不当な要求であると考えている。

 

台湾籍についての説明会見(代表就任前)

 

代表定例会見

 

抑えるべきポイント

本件に関して、何点か抑えるべきポイントを示しておく。

 

改正国籍法上の日本国籍取得

かつて日本の国籍法は、「父系主義」だった。父親が日本人でない限り日本国籍は付与されず、国際結婚の増加とともに無国籍児の問題が表面化した。

そこで、昭和60年より国籍法が改正され、母親が日本人の場合でも日本国籍が取得できるようになった。蓮舫氏はこのケースに当たるため、昭和60年より3年以内に自主的に日本国籍を取得したことになる。

蓮舫氏は自主的に日本国籍を取得した、ということは明確である。

 

日華関係の混乱と「一つの中国」論

日華(日台)関係は常に矛盾を孕んだものであった。日本と中華民国に正式な国交は存在せず、日本はあくまで中華人民共和国のみを国家として承認している。

日本と台湾の間には公式な政府交流機関がない。現在こそ関係が深化しているものの、国交断絶以降、かつて遥かに交流が少ない時代があった。

このような状況においては、手続きの不備や、国籍喪失の説明が不十分であったことも充分に考えうる。

 

また、前述の通り日本は台湾を国家として承認していないため、日本においては「中華民国籍」は存在しない。

また、中国は二重国籍を認めておらず、他国籍を選択した時点で国籍は失われる。

(これはナーバスな問題なので、下記専門家の記事を参照されたい)

https://news.yahoo.co.jp/byline/yanaihitofumi/20160916-00062183/

 

問題は、国籍離脱義務が果たして国家承認していない国の国籍をも含めているのか?という点だ。

法務省は曖昧にしている部分があるが、一般的な解釈として、国家承認していない国家の国籍離脱を国内法の義務として課している、と考えるのは難しいのではないか?

蓮舫氏に対する不当な批判

17歳当時、蓮舫氏が自らの意志で日本国籍を取得したことは、疑いようのない事実である。なぜなら、蓮舫氏は出生時は国籍を持っておらず、その後の手続で国籍を取得していない限り、参院議員として立候補すら出来ないからだ。

そのことは選挙管理委員会が明確に確認しているはずの事実である。 

「私は中国人」などの発言について

また、蓮舫氏が出生時は中華民国の国籍を保有し、日本の国籍を持っていなかったことは事実である。

このような事実を踏まえれば、例えば「私は台湾人である」という発言があったとしても、それは本人のアイデンティティを表す発言として、不自然ではない。

それは、例えば既にアメリカ国籍になった日本人が「私は日本人である」と発言することに不自然さを感じないように、中国人であったものが「私は中国人である」と発言することは当然ありうることだからだ。

 

この問題に関して当初より明らかになっているのは、蓮舫氏が日本国籍を持っていることだ。これに対しては疑いようのないし、疑念が持たれたこともない。

また、日本が「一つの中国」論を採用している以上、法的に問題が生じる可能性も極めて低い。

だとすると、何を問題視しているのだろうか?

中国系日本人という選択

蓮舫氏が自身のルーツに誇りを感じていることは、度々語られている。本人が蓮舫という中国名を使っていることからも明らかである。蓮舫氏は自身のルーツに対して誇りと愛着があるからこそ、そのような名前を選んでいるのだ。

 

問題は、我々の社会がそのような人物を受け入れられるかどうか、である。野党第一党の党首が、自身の中国のルーツに対して誇りと愛着を持っていること、それを受け入れるかどうか。 

「ルーツを捨てろ」という声

「二重国籍問題」の本質は、蓮舫氏に対する「ルーツを捨てろ」という要求ではないだろうか。彼らが要求しているのは、蓮舫氏が中国、あるいは台湾というルーツを捨てることではないだろうか。 

 

それは、例えば同じく「ダブル」である小野田きみ議員が、積極的に国籍喪失をアピールしていることからも明らかである。なぜダブルの人間が、国籍喪失をことさらに主張しなくてはいけないのだろう?

人間には複数のルーツがあって当然だ。両親のどちらかが関西、どちらかが関東という人もいるだろう。沖縄と本土、北海道と本土、というミックスもあるだろう。蓮舫氏は自ら日本国籍を取得したという意味で、むしろ通常の日本人が考えもしない選択を自ら行ったのである。

 

日本の愛国心とは、複数のルーツを拒否するほど狭量なものではないはずだ。王貞治氏は台湾人であると同時に日本人である。「私は日本人である」ということと「私は中国人である・台湾人である」ということは両立するはずだ。

今、社会に求められているのは、複数のルーツを持つ人間を我々の社会が受け入れられるかどうか、ということではないか。

この問題は、日本が本当の意味で多様性を持った社会に買われるかの試金石である。日本社会に、大きな課題が突きつけられている。