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真実は、政府が決めてくれる

前川事務次官を巡る報道は、およそ政府から独立したメディアとは思えない醜悪なものだった。「プラウダ」のようだ。

一般紙、それも公称800万部以上を誇る読売新聞の社会面に、既に退職した一私人のゴシップが乗る。これは明らかに異様な光景だ。

 

以前、私はこのような記事を書いた。

しかし、昨今の政府の姿勢は、更にエスカレートしている。

 

前川氏への個人批判

「そうした状況にもかかわらず、当初は責任者として自ら辞める意向をまったく示さず、地位に恋々としがみついていた。その後、天下り問題に対する世論からの極めて厳しい批判にさらされて、最終的に辞任された方と承知している」と、前川氏を強い口調で非難した。

菅官房長官は、「地位に恋恋としがみついていた」と批判した。さらに「出会い系バー」に対しても批判をしている。

文書の信憑性などについて一切誠実に答えること無く、完全に個人攻撃に走ってしまった。

 

それとともに、驚くべきことがあった。

朝日新聞デジタルは、森本氏が帰国中に、私的な会食の場で安倍政権の対応を批判したことを、首相官邸が問題視していたと複数の政府関係者の話として報じている。

総領事の任期は通常2~3年間で、約1年での交代は異例だ。しかし、菅義偉官房長官は1日午前の記者会見で「通常の人事だ。過去何例もある」と説明した。

「私的な会食の場で」対応を批判したことが問題視され、更迭に至ったという報道だ。この報道に関しては、信憑性は明らかではない。しかし、異例の更迭であることは事実である。

 

政権の発するメッセージ 

そう、現政権の発するメッセージは、一貫している。そして、極めてシンプルだ。

 

「楯突けば仕事がどうなってもわからないぞ」

「どんな報道をされても文句を言うな」

 

意味するところは明白である。

土屋正忠議員が、階猛議員に「テロ行為だ」という野次を飛ばしたことがあった。この行為こそ、今の政権の発するメッセージを端的に表しているのではないか。

 

政府の印象操作が機能する理由 

これは支持者を無視した暴走なのだろうか?

いや、そうではない。安倍総理を支持している方々は、むしろこういった対応に好意的であるようにすら見える。

 

権力は、どんな人間であろうと「怪しい人間」にすることが出来る。お抱えのメディアが「批判が上がりそうだ」などという書き方で、いかにもろくでもない人間であるように、印象付ける事ができる。

そうすれば、その後の「怪しい人間が言ったこと」は全て無意味な虚構になる。だから反論する必要すらない。

つまり、怪しい人間だと政府が認定してくれた人間の言うことは聞く必要がない。だから疑惑について真剣に考える必要はないのだ。

 

安倍政権は「常に正しくあってほしい」という願望に答え続けている。

 「真実は我々が発表したことであり、それ以外に存在しない」という姿勢を維持している。

 

少しでも政権に失望しそうな報道があれば、すかさずそれを否定する「真実」を政府が教えてくれる。だから、政府が我々を失望させることはない。

 

前川氏は出会い系バーに行きながら怪文書をばらまく抵抗勢力であるから、彼が何を言おうと、そんなことは信じなくてもいい。

国連報告者は、無責任な個人で人権団体の回し者だからその書簡には価値がない。

民進党は支持率が低いから彼らが何を追求しようと応じる必要はない。

 

政府による印象操作とは、

あいつは怪しい人間だから、あいつの言うことを真に受けるな」という形で自らにかかった疑惑を振り払う政府と、

なるほど、あいつは怪しいんだな。ならあいつの言うことは聞く必要がない」という大衆の両方を持って完成する。

 

 今の政府は実に優しい。我々が何を読み、何を考えたら良いか、あるいは真実を何だと思うべきかを教えてくれる。

 

「前川の言うことは嘘だ、なぜなら出会い系バーに出入りしていたからだ」

「読売新聞を読めばわかる」

「信じる必要はない、怪文書だ」

 

真相を明らかにして、国民の頭を悩ませる事もない。

政府が言うことが真実になるのだから、真実を探す必要はないのだ。国会と見なくていい。証人喚問や公文書の公開も不要である。

真実は政府の発表のとおりであり、「怪文書だ」といえばそれは怪文書なのだ。

 

これは皮肉でも揶揄でも冗談でも誇張表現でもない。「『そもそも』という言葉には『基本的に』という意味が含まれている」という珍妙な閣議決定をした国は、なんだって可能なのだ。

何か頭を悩ますことがあれば、政府の発表を待てばいい。それは信じるべき情報かどうかは、政府の方々が教えてくれる。

 

何と優しい国家だろうか。

「どうすればいいって言うんだ?」彼は泣きじゃくった。「目の前にある物をどうやって見ればいいって言うんだ?二足す二は四だ」


「時には、ウィンストン。時には五にもなるんだよ。時には三にもなる。時には同時にそれら全てにもなるんだ。君は頑張らなくちゃならない。正気になるのは簡単じゃない」

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

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