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痴漢冤罪と共謀罪

痴漢冤罪が再び、議論になっている。痴漢冤罪の議論は、「誰もが容疑者になりうる」という点を身近に考えさせるトピックである。

そのトピックを通して、「推定有罪国家」である、我が国の司法制度の問題点が見えてくる、と考えている。

 

痴漢冤罪

逮捕というのは、いつでもどこでも出来るような簡単なものではない。

本来逮捕というのは、あくまで証拠隠滅のおそれがある場合に捜査の一環として用いる手段で、現行犯逮捕を除けば、逮捕状の請求にはそれなりのハードルがある。

 

あくまで刑罰を判断するのは司法(裁判所)であり、警察にそのようなことを判断する権限はないからだ。だから逮捕状を請求する、というプロセスを踏まなくては人を拘束できないし、拘束できる時間にも本来は制限がある。

任意同行は拒否可能であり、いつ辞めてもいい、というのが建前だ。

 

とはいえ、御存知の通り日本においては様々な形でそのハードルが飛び越えられている。

起訴前の長期の勾留及び、制限のない密室での取り調べ、そしてマスコミ報道の三セットにより、一度捕まったら人生は終わりだ、と思われている。そこに高い有罪率も加われば、逮捕されれば終わりだ、というイメージが残ってもやむを得ないだろう。

 

痴漢冤罪が多くの人間にとって不安の種となるのは、一度痴漢と間違われたら、有無を言わさず長期に拘束され、人生が破滅する、というイメージが強く植え付けられているからだろう。(弁護士の方が書かれているブログによると、最近では長期勾留されないケースが多いとある)

 

さて、そこで今回の共謀罪法案である。

下見だけで逮捕されることの重み

www.youtube.com

 

いわゆる「共謀罪」は、「犯罪が起こる前から」、「計画段階で」逮捕を可能とする法律だ。具体的には、様々な法律容疑に対して「実行準備行為」のみで逮捕権を与えるものだ。

ところが、この実行準備行為なるものの例としてあげられているのは「場所の下見」などの行為である。

 

下見とは何か。その辺を歩き回ることである。金田法務大臣は花見会場を地図(と双眼鏡)を持って歩いていても、下見になりうると答弁している。つまり、事実上あらゆるケースで、逮捕される可能性が生じうるということだ。

 

www.tokyo-np.co.jp

 

ちなみに、一般人も当然捜査対象になる。(怪しい人は一般人から、一般人は逮捕されない、という謎の答弁をしていたが)

下見行為だけで逮捕される、ということは、 まさに現状の人質司法や長期勾留に法的なお墨付きを与える行為ではないか。

 

警察は使えるものはなんでも使う

権限というのは限界まで利用されることを想定した運用をするのが大原則だ。

怪しい、と思った人間を全員逮捕できるチャンスが有れば、警察は必ず逮捕する。なぜならそれが警察の仕事だからだ。それを前提とした立法をすべきである。

 

警察というのは一つの権力であり、権力を制限するのが法律である。怪しい人間を片っ端から逮捕していけば、大量の冤罪が生ずる。人間は実に間違いやすい生き物なのだ。

 

捜査というのは常に不確実なものでだ。犯罪の抑止のためにどの程度権力を許可するか、というのは0と1で考えられるものではない。

当然、警察の権限を強めることで抑止できる犯罪もあるだろう。

しかし、それでもやはり、今の日本の司法制度、検察捜査はあまりにも多くの問題を抱えているのではないだろうか。

 

死刑囚として生き地獄を暮らした袴田事件の袴田さんが釈放されたのは、なんと逮捕から48年後、2014年のことである。

袴田への取調べは過酷をきわめ、炎天下で1日平均12時間、最長17時間にも及んだ。さらに取調べ室に便器を持ち込み、取調官の前で垂れ流しにさせる等した。


睡眠時も酒浸りの泥酔者の隣の部屋にわざと収容させ、その泥酔者にわざと大声を上げさせる等して一切の安眠もさせなかった。そして勾留期限がせまってくると取調べはさらに過酷をきわめ、朝、昼、深夜問わず、2、3人がかりで棍棒で殴る蹴るの取調べになっていき、袴田は勾留期限3日前に自供した。取調担当の刑事達も当初は3、4人だったのが後に10人近くになっている。


これらの違法行為については次々と冤罪を作り上げた事で知られる紅林麻雄警部の薫陶を受けた者たちが関わったとされている。

 

袴田事件 - Wikipedia

死刑事件ですらこのようにずさんなのであれば、当然他の犯罪についてもそうだ。

 

痴漢冤罪と共謀罪

痴漢という犯罪は極めて立証/反証が難しい上、日常で嫌疑がかけられる可能性がある、ということで、不安を抱くのは当然だろう(しかし同時に、多くの方が被害にあっている、憎むべき犯罪であることも忘れてはならない)。

 

容疑者とは、司法で決着が付くまではあくまで容疑者であり、仮に司法で有罪が確定しても、冤罪である可能性が必ず存在している。 

痴漢冤罪とは、あくまでわかりやすく「自分が容疑者になる可能性」を示したものであり、そのような可能性は、日常の様々なところに存在しているのだ、ということを、ぜひ一度、真剣に想像していただきたい。

そして、その想像をいま国会で行われている議論に当てはめると、どうなるだろうか。

 

映画「それでも、僕はやってない」を監督した周防正行氏は、こう語っている。 

www.asahi.com

 権力としては、新設する罪を使って有罪にしなくてもいい。「話を少し聞きたい」と任意の捜査をするだけで、萎縮効果は抜群だ。「私たちが何を考えているのか」を国家が絶えず監視する社会になる。密告や自白といった証拠に頼らざるをえず、冤罪は確実に増える。「映画監督としてどう思うか」の前に一人の人間として許せない法案だ。

 政府は「一般人は対象ではない」とも言う。では、そもそも「一般人」とはどんな人か。誰でも犯罪をする可能性があり、誰でも「犯罪をした」と疑われる可能性がある。だから全ての人が対象になる。

 

 

どのような種類の事件であれ、逮捕要件や勾留要件は厳格にし、最低限人権が守られるような運用がされなくてはいけない。

日本の司法制度は、このような点で全く不十分だ。

これは、与党や野党の垣根を超えた話である。人はだれでも容疑者にも被害者にもなる可能性があるのだから。

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