読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

読む国会

国会・政治をわかりやすく解説するメディア

MENU

憲政史上最悪の国会答弁の声も?総理の「読売読め」を許してはならない理由とは

安倍総理の答弁は、なぜ「国会史上最悪」とまで評されたのか?

小沢一郎(事務所)がこのような形で総理答弁を批判した。かなり強い言葉を使っているが、基本的な見解は全く同一である。他の野党議員も、文言は違えど今回の発言を批判している。

今回の総理答弁は拙劣であり、今まで聞いたことが無いほど酷いものだ。

 

今回は、なぜこの総理答弁が憲政史上に残る醜悪な答弁であるのかを書く。

(追記)予算委員会の基本的なあり方について

www.yomu-kokkai.com

 

実際の答弁内容

www.yomu-kokkai.com

 

この答弁が最悪である四つの理由

議事録に残らない

国会とは何か。それは、議員と政府が質問と答弁をする中で、議事録を積み上げ、見解を統一する機関である。議事録は先例となり、どのような政党が与党になろうとも、政府の継続性を担保することになる。

首相が読売新聞に何を語ろうが、それは政府の公式見解として議事録に残るわけではない。だから、責任を取る必要はない。

安倍総理は「党内でリーダーシップを取る必要がある」と述べた。しかし、読売新聞は当然党員や政治家だけではなく、一般の国民が見るものだ。

国民に向けて語るなら、同時に発言に対して責任を取る必要があるだろう。

 

政府見解でないので、後からいくらでも弁解可能

上にも書いたように、これは公式の議事録に残るものではない。更に安倍総理いわく、これは総裁、つまり公人ではなく私人としての見解であるようだ。

私人の見解であれば、後からいくらでも変えることが出来る。議事録との整合性を取る必要もない。「あの時はああ思っていた」といえばいいだけだ。

そもそも、インタビューは自分の言葉ではない。あくまで総理の言葉を記者が「汲み取って」文字にしたもので、文責は記者にある。「私はこう言ったが記者が間違えて書いた」ということも出来る。

 

「公式な政府見解は出せないから」というのが総理の説明だが、であれば当然、「首相インタビュー」という名前で憲法改正について自説を述べるべきではないだろう。

――衆院解散の制限の議論も出ている。野党には69条の衆院解散に限るべきだとの意見がある。

私は総理大臣として解散する立場だ。意見を述べることは差し控える。 

また、総理はこのように、答えづらい質問については「総理大臣として」と述べている。そんなに総理と総裁というのは便利に使い分けられる人格なのだろうか。(というか、そもそもタイトルが首相インタビューであるのだが…)

報道の公平性の点で疑問が残る

そもそも、なぜ読売新聞だけなのだろう?憲法改正は国民的に関心の高い争点であり、当然、総理大臣の見解は、国民全員が知る権利がある。

報道の公平性という点で、一企業に特権的な取材権を与えれば、彼らが事実上の「広報誌」化してしまう可能性がある。

 

もちろん、個別企業やメディアのインタビューを全く受けてはいけない、ということではない。しかし、それはあくまで国会で誠実に質問に答弁するという前提があってなりたつものだ。

何か質問を受けて、自分たちと関係の深い新聞社の記事を読むように答える、というのは理解しがたい対応である。

そもそも私企業の宣伝である

このインタビューは、驚くべきことに読売新聞のプレミアムサービスに加入しなければ読むことが出来ない。

これは、私企業の宣伝である。憲法改正についての見解を国会で問われ、ネットで無料公開しているわけでもない記事を読め、といっているのだ。

 

トランプ政権のスポークスパーソンであるコンウェイ上級顧問が「イヴァンカ・トランプのブランドを買おう」と言ったのと酷似している。

www.huffingtonpost.jp

 

こんなことは通常ありえない。利益誘導以外の何物でもない。 

総理インタビューの発言についての見解

総理は、読売のインタビューの中で下記のように述べているようだ。

かつて憲法には指一本触れてはならないといった議論もあったが、「不磨の大典」と考える人は少なくなってきた。だからこそ「護憲派」は、憲法審査会で具体的な議論に入ることを恐れていると思う。

 

しかし、そもそも憲法改正に関する議論は、全く深まっているとはいえない。

 「護憲派は具体的な議論を恐れている」と総理は述べておられるが(総裁、とお呼びしたほうがよいのか?)、具体的な議論を恐れておられるのは総理の方ではないか。

安倍総理の答弁は基本的に的を射ていないことが多いが、答弁しないよりはよほど答弁した方がいい。総理大臣が「二〇二〇年までに憲法改正を目指す」と言ったなら、その答弁は詳しく国会で精査されなければならないのだ。

 

これまで、沢山の酷い答弁があった。しかし、それらの答弁は国会で追求され、宰相が責任を取ることで、(卑近な言い方をすれば)落とし前をつけてきた。

しかし、安倍総理は、自らの言葉に対して責任を取ったり、国会で追求されることすら認めようとしない。

 

安倍総理は「責任」という言葉が大変お好きだ。一次政権の時から一貫してそうだったと記憶している。しかし、安倍総理ほど自身の職責を軽視されている宰相がかつて存在しただろうか。

国会に、このような答弁を残してはならない。これは、憲政の汚点となる。

安倍三代

安倍三代

 

 

【国会書き起こし】安倍総理、憲法改正の質問に回答せず「読売新聞を熟読しては」

安倍総理大臣が、憲法改正についての姿勢について国会で問われ「新聞を熟読してほしい」と答え、議場が一時騒然となった。

 

www.youtube.com

 

 

2017年5月8日 衆議院予算委員会長妻昭議員の質問(抜粋)

 

長妻昭 議員

2020年までに新憲法の施行をめざす」ということですが、真意を伺いたい。

 

安倍 総理

この場には内閣総理大臣として立っているわけでございまして、予算委員会は政府の予算についての議論をする場です。憲法については、憲法委員会で議論していただきたい。

 

長妻 議員

なんで国会でおっしゃらないんですか?

 

安倍 総理大臣

ビデオメッセージは、自由民主党総裁としてお話をさせて頂いたわけです。質問にお答えする義務があるのは、内閣総理大臣としての責任における答弁に限定させていただきたい。

 

長妻 議員

自民党の憲法審査会の理事である船田さんももっと慎重にしてほしいとおっしゃっている。一切ここでおっしゃらずに、報道や議論ではどんどん発言される、そのやり方には違和感を感じる。締め切りを求めるのもいかがなことか。法制局長官、今の自衛隊は違憲ですか?

 

横畠 法制局長官

政府として、一貫して憲法に違反するものではないと解してきております。

 

長妻 議員

総理が一切おっしゃらないので、法制局長官に聞くしか無いんですがね。総理は一項二項は残して、三項に自衛隊を加えるとおっしゃっている。法制局長官に伺いますが、仮に今の憲法に自衛隊を位置づけると、今と全く変わらないということでいいんですね?

 

横畠 法制局長官

憲法改正をめぐるご議論だと思いますが、憲法改正については、国民、特に国会のご議論を待ちたいと思います。

 

長妻 議員

判断しようがないですよね、憲法審査会にも何もない。一般論ですが、仮に今の憲法9条の条文に自衛隊を加えると、どうなりますか?

 

横畠 法制局長官

まさに国会でご議論頂くことだと思っています。

 

長妻 議員

憲法審査会で議論しろと言っても、憲法審査会の与党の議員が、総理の話をすべて把握しているとも思えない。非常におかしな説明だ。

 

長妻 議員

総理にもう一回ご質問しますが、自民党憲法草案の、例えば国防軍や、公共の福祉を交易及び公の秩序に変えるとか、九十七条をバッサリ削除するとか、こういった三つの観点については取り下げるという認識でよろしいんでしょうか?

 

安倍 総理大臣

繰り返しになるんですが、ここに立っているのは内閣総理大臣として立っているわけでございまして、自民党総裁としての考え方は相当詳しく読売新聞に書いてあります。ぜひそれを熟読していただければ良いんだろうと思います。

 

長妻 議員

新聞読めって、そんな馬鹿な話はないだろう!

 

(議場騒然)

 

 

安倍総理の答弁

予算委員会において、安倍総理は議員の憲法改正についての姿勢を問われ、一民間の新聞社である読売新聞の名前を上げ、「答弁する必要はない」「考え方は新聞に書いてある」と回答した。

これは、議会制民主主義の理屈から言えば、ありえないことだ。理解しがたい答弁だ、と言ってもいい。

 

予算委員会とは

慣例的に予算委員会は、あらゆる種類の質問を行うことが出来る委員会である。 

予算委員会は、所管事項として「予算」とのみ記載されており、そして当然のことながら、政府の行うあらゆる行動は予算が関わってくる。

衆議院規則

 

予算を執行する大臣に不適切な人間が登用されている可能性がある。当然、資質を問うことも予算委員会の所管事項である。

憲法自体も、例えば実際に国民投票を行えば予算が関わる。これも、予算委員会の所管事項になる。

このように、予算委員会で幅広な質問をすることは、慣例的に言っても、また衆院の規則から言っても全くおかしいものではない。

 

新聞のインタビューは国会答弁と同値ではない

国会とは、答弁を通じて政府の監視を行う場所である。当然、民間のメディアにおけるインタビューとは全く性格の違うものだ。

読売新聞がどれほど清廉潔白な新聞社であるとしても、特定の新聞社がインタビューに応じた無いようというのは、あくまで経済活動の中で行われている。

 

また、当然のことながら、民間の新聞社が行う以上、そこにはバイアスや脚色が存在する。

総理大臣が特定の新聞社だけのインタビューに答え、何を聞かれても「それは新聞社に話したからここで話す必要はない」などということを言うのであれば、日本は議会制民主主義の大前提を失うことになる。

 

答弁に関して答えず、紙面にすべてを語るなら、もはや一日に億単位の経費をかけて国会を開催する必要など、ないではないか。

総理が認めたお気に入りの新聞社だけに、今年の政策はどうする、などと述べておき、質問は聞かず、紙面を読め、と言っておけばいい。

 

民主主義の基本は、情報の透明性と議会へのリスペクト、そして憲法の遵守である。残念なことに、今の政府にその三つの要素は、全て欠けているようにみえる。

 

www.yomu-kokkai.com

「憲法九条、一項二項を保持して自衛隊を明記」目的無き九条改憲案の意味とは?

安倍晋三総理大臣の不思議な改憲案

今回安倍総理が表明した改憲について、なぜ安倍総理が改憲を求めるのかを論理的に考えていく。

 

憲法とは何か

近代立憲主義の立場から

憲法とは何か、という問いに対して、近代立憲主義の立場から答えるのであれば、それは権力を縛るものである、ということになるだろう。

一項 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。


二項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

上記の日本国憲法九条・一項及び二項は、国家権力に対して、戦力を保持する、という権利を禁じている。

 

安倍総理の見解

ところで、安倍総理はこのように答弁している。

憲法とは、国家権力を縛るだけのものではなく、理想とする国の形を示すもの

平成26年2月3日 衆院予算委員会

この答弁は大変批判されたが、部分的には正しい。

少なくとも、九条の中にある「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」は理念であり、理想主義を示すものだ。

 

憲法九条とは「交戦権や戦力の保持を国家権力に禁ずる」という近代立憲主義の機能と、「理念としての平和探求の宣言」の両方をその条文で示している、といえるだろう。

 

安倍総理の改憲案とは

安倍総理のビデオメッセージにおける発言を見てみよう。

www.huffingtonpost.jp

首相は改正項目として9条を挙げて「1項、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込むという考え方は国民的な議論に値する」との考えを示した。

 

憲法9条について、首相は「多くの憲法学者や政党には自衛隊を違憲とする議論が今なお存在する。あまりにも無責任だ」として、自衛隊の根拠規定を9条に追加すべきとの考えを強調

引用したとおり、安倍総理は「自衛隊が違憲であるとの議論が存在する」ので「九条の一項及び二項を保持したまま、根拠となる条文を書き込む」と述べている。

 

自衛隊の違憲論とは

自衛隊の違憲論とは、下記の九条二項の条文を根拠にしている。

二項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

これは、素直に読めば、あらゆる種類の武力の保持を禁じているように見える。

 

「自衛隊は自衛のための必要最小限度の戦力であるから、これは憲法上禁じられた『戦力』ではないのだよ」というのが政府の見解である。

それに対して、「いや、『陸海空軍その他の戦力は保持しない』と書いてあるんだから違憲だろ」というのが違憲論者の意見(わかりづらい)である。

 

政府見解は下記の質問主意書にもある。

防衛省・自衛隊:軍隊、戦力等の定義に関する質問に対する答弁書

憲法第九条第二項は「陸海空軍その他の戦力」の保持を禁止しているが、これは、自衛のための必要最小限度を超える実力を保持することを禁止する趣旨のものであると解している。

自衛隊は、我が国を防衛するための必要最小限度の実力組織であるから、同項で保持することが禁止されている「陸海空軍その他の戦力」には当たらない。

これは、「ガラス細工」とも表される異例な論理構成ではある。ただ、元々自衛隊は警察予備隊として発足している。常識的に考えて、九条二項が警察組織のような実力組織を禁じているとは考えづらいので、その延長線上に自衛隊が存在する、というのが基本的な概念だろう。

 

この見解は、共産党を除くすべての党が受け入れている。

 

二項を残したまま自衛隊を明記する意味

憲法とは、先に述べたとおり基本的には権力を縛るものである。つまり、「戦力を保持してはいけない」という権力に対する禁止事項が立憲主義的な意味での憲法の骨子である。

しかし、日本国政府は一貫して「自衛隊は違憲ではなく、九条二項は自衛隊を禁止しているものではない」と述べてきたわけだ。

仮に安倍総理、あるいは現在の内閣がその政府見解を引き継いでいるのであれば、憲法上自衛隊を位置づける必要はまったくない。

 

これは、例えば海上保安庁や警察庁などと比較してみればいいだろう。海上保安庁はしきしま型巡視船など、兵装を有した船舶を保有している。しかし、例えば憲法上に海上保安庁の存在を明記しなければならない、という議論は起きたことが無いはずだ。警察も銃器を保有しているが、同様だ。

つまり、武力を持った実力組織そのものは憲法九条が禁ずるものではなく、あくまでその程度によって違憲か合憲かが決まる、と考えるのが合理的である。

 

例えば新規で航空母艦を導入したり、他国の紛争に直接関与し、武力を行使すれば当然九条一項・二項に照らして違憲ではないか?という議論は出てくるはずだ。

つまり、安倍総理が言う「自衛隊を違憲とする無責任な議論」は、九条二項という根本の条文が変化しない限りは、自衛隊の行動や装備いかんによってあらゆる場面で起こりうるのである。

 

国防軍の創設をうたった自民党改憲草案

賛否は別にして自民党改憲草案による「国防軍の創設」の方が、論理はシンプルである。

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない。

 

前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。

 

我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。

自衛隊を軍隊として位置づけ、自衛権を明記し、九条二項を削除する。上記の文面は少なくとも、九条二項を残したまま自衛隊を明記する、という奇怪な案より遥かに明確だ。

この案であれば、現状懸念されている軍事裁判所の存在や、軍法の設定なども行うことが出来るわけで、憲法改正の意味は通る。

 

安倍総理の狙いとは?

さて、まとめるとこのようになる。

  • 自衛隊違憲論は、戦力不保持をうたった九条二項が原因
  • 自衛隊は戦力ではない、というのが政府の公式見解
  • その見解を保持する限り改憲は不要
  • 仮に憲法上位置づけたとしても、戦力不保持との齟齬は常に残る可能性がある
  • 憲法上、自衛隊をどのように位置づけても九条一項・二項の制約は残る

このように、一項と二項を残したまま自衛隊を三項で位置づけることは、一見特に理由があるように見えない。


戦後、一貫して自衛隊の合憲論を唱えてきた自民党が、まるで違憲論に一理があるかのような形で改憲するのは大変不思議な事だ。100%合憲ならば改憲などする必要が無いはずだろう。

石破茂氏の発言を見る限り、党内でもコンセンサスが取れていないように見える。

news.livedoor.com

 

とすると、このような形の改憲の本質的な価値とは、たったひとつ「九条の条文を変更すること」そのものにあるのではないか?と考えざるを得ない。

いや、これはあくまで邪推である、というなら、九条一項・二項を保持したまま自衛隊を憲法上位置づけることで可能になることは何か、ぜひ国民に説明いただきたい。

 

合わせて読む

www.yomu-kokkai.com

教育無償化のために改憲する必要は一切ない

昨日に引き続き憲法のことを書く。

国会・政治クラスタにとっては「何を今更」という当たり前の話をする。(この記事も、基本的には話されてきたことや、メディア報道の焼き直しであることを承知されたい)

まず、教育無償化を憲法に書き込む必要性は全くない。憲法はあくまで権力を縛るものであり、教育無償化を感ずる憲法上の制約はない。

だから、教育無償化自体は、今すぐ自民党が法案として提出して、財源さえあれば実現可能なのだ。それで終わり、の話ではあるのだが、もう少し書こう。

 

自民党と高校無償化

そもそも、自民党は民主党政権時代の高校無償化に強く反発していた。高校無償化法案自体もはねつけてきた歴史がある。

 

www.jimin.jp

その骨子は(1)所得制限を設ける対象を世帯年収700万円以下に絞っても高校生の5割をカバーすることができる。そのうえで、(2)私立高校生の負担を軽減するため低所得者世帯を中心に公私の授業料の差額分を支給する(3)高校生を対象にした返済義務のない新たな奨学金制度を創設する(4)所得制限により単純増税となる世帯への負担緩和措置を設ける――の4点。

 

その基本的な考え方は、本当に支援が必要な家庭に対し手厚く支援することにある。わが党の試算によれば、2000億円で、これらの効果の高い政策が実行できる見込みだ。これに伴い現行の高校授業料無償化は廃止される。

資源のないわが国にとって、次代の人材を育成する教育は極めて重要だ。わが党が目指すのは世界トップレベルの学力と規範意識を養成し、日本文化を理解し、継承・発展させることができる人材を育成することにある。そのためには、限られた財源を有効に使うことが不可欠だ。

機関紙「自由民主」第2498号掲載より引用

その言葉通り、安倍内閣はその後、高校無償化に所得制限をつける改正案を閣議決定している。

 

www.nikkei.com

 

もちろん、自民党の対案自体には検討の余地がある。所得制限をつけるかどうか、というのは国論を二分するような議論に成ったことは記憶に新しい。

しかし、「高校生の五割に対する助成と奨学金の拡充」は、無償化と言うには程遠いものだろう。

更に、いわゆる「教育無償化」とは、高校だけではなく、大学までを含むものである。当然、高校無償化とは比較にならないほどの金額が必要になる。

 

当然、財源もまだ明確に固まっているわけではない。

www.newsweekjapan.jp

 

過ちを改めるに越したことはないが、なぜ二千億円の教育に対する支出を拒んだ自民党が、このような転換をするのか。一定の説明が必要ではないか。

 

なぜ大学の無償化に憲法の改正が必要なのか

高校無償化に反対するという意見は、その意見自体に対する賛否はともかくとして理解可能である。

しかし、教育無償化は、憲法改正してからでなくては実施できない、というのは、論理構成的に全く理解できない。

そもそも、理念法としては下記のように憲法二十六条が存在する。

第二十六条  すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。

もちろんこれは具体的に無償化を意味しているものではないが、当然、教育を受ける権利が、所得の低さなどによって阻害されているとすれば、それを補助する義務が国に課せられている、と考えるのが自然ではないだろうか。

 

 

今こそ大学教育無償化のチャンス

と、いいつつ、実はこのような議論は、教育を変える一つのチャンスであるとも考えている。つまり、改憲のために教育無償化を言い出してしまった以上、自民党としても教育無償化に本腰を入れざるを得ないからだ。

だからこそ、憲法改正よりも先に、実施法を制定するのが筋ではないだろうか。本当に大事なことであるのであれば(そしておそらく大事なことであると思う)、当然法律にすぐ落とし、なるべく早く大学授業料の無償化を実現すべき、という話になるはずだ。

実は、かつて高校無償化制度に深く関わった鈴木寛氏は、いま文部大臣補佐官に成っている。

公立高等学校の授業料無償化 | 鈴木寛(すずきかん)公式サイト

一日も早い実施法の制定を期待したい。

 

改憲は本筋の議論なのか?

再三述べているとおり、そもそも教育無償化は法律ですぐにでも実施可能である。しかしながら、財源の問題など、まだまだ山積する課題があるからこそ、丁寧な議論の積み重ねが必要なのではないだろうか。

 

改めて申し上げる。憲法を変えることが自己目的化してはいないだろうか?

「改憲しなくては教育無償化出来ない」というのは全く本筋の議論ではないし、そのような形で大学教育への助成などが十分に行われないのだとすれば、これは本末転倒である。

国民投票にも税金がかかる。国会でわざわざ憲法に入れる入れないの話をすれば、それも税金がかかる。

高校無償化を改正した自民党が賛成に回った以上、教育への予算の増加に反対する党は今のところ無いはずなので、今実施法を提出いただければ、すぐにでも実現する話ではないのだろうか?と申し上げておく。

 

憲法九条改正は全く不要である

 

日本国憲法第九条

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する

前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 

憲法記念日の今日、安倍晋三総理大臣は、二〇二〇年に憲法を改正する、という意向を表明した。

www.asahi.com

 

本来国民の付託に答えて発議されるべき憲法改正の意向を総理大臣が発するのはさっぱりわからないが、ともあれ安倍総理は悲願である憲法九条を改正できると、意気込んでいるようだ。

しかし、憲法九条というのはそんなに大事なものだろうか?九条が変われば、日本は何か新しく素晴らしい国家へと生まれ変われるのだろうか?

憲法九条は、こう申し上げて適切かわからないが、理念法である。その文面は平和を希求するものであれ、自衛隊の存在を否定していない、というのが政府解釈であり、ほとんどの政党が認めた憲法解釈だ。今現在自衛隊が存在する以上、九条があろうがなかろうが、決して日本の国家の防衛力が変わることはない。

現状で既に自衛隊が存在する以上、憲法九条は現状の防衛力を削ぐものではないはずだ。

 

北朝鮮のミサイルは、九条がなければ撃ち落とせるようになるのだろうか?そんなことは防衛のリアリズムを欠いている。

 

なぜ、日本最大の課題がまるで九条であるような言論が、多くの保守派の方々の口から出てしまうのだろうか?

 

あえて申し上げるなら、日本最大の課題は、重要な憲法の条文が守られていないことにある。

日本国憲法第十四条

すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。 

未だに日本では、人種差別、女性への不当な取り扱いが終わっていない。男女共同参画社会、という理想はまだ全く実現していないのだ。

 

日本国憲法第二十五条
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

日本の貧困は拡大し続けている。長時間労働も決して改められていない。国民全員が「健康で文化的な最低限度の生活」を営めているわけではない。

 

九条の改正で飯が食えるようになるわけではない。そんなことに、何故血道を上げ、人生の課題とばかりに時間と税金を浪費できるのか。そんなことに時間をかけられるほど、日本に時間は残っているのか?

 

2020年、日本の3割は65歳以上になる。

2050年、日本の人口は1億人を切っている。

 

滅びゆく国で、自主防衛だ、自主憲法だと威張ったところで、一体誰が聞いてくれるのだろう?

憲法二十五条に書かれた、「健康で文化的な最低限度の生活」を国家が保証するために、憲法に即した政策を政府が行うこと、それ以上に重要なことはあるのだろうか。

与党も野党も、今すぐ九条改正に関する議論は凍結すべきではないか。

憲法が国家を作るのではない。幸福で健やかで、生活を営む国民が憲法を作り、そしてそれが国家を形成するのだ。

 

憲法記念日こそ、あえて問い直す。我々国民は、九条の改正に時間と税金を使う政府に対し、十四条や二十五条の誠実な履行を求めていく必要があるのではないか。

 

www.yomu-kokkai.com

 

 

お詫び

一部画像・グラフについて、引用元を間違えて掲載し、また同時に適切な引用の基準を満たしておりませんでした。著作権者に深くお詫び申し上げるとともに、二度と無いように致します。大変申し訳ございません。